東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6542号 判決 1985年10月15日
原告
八代英太こと
前島英三郎
右訴訟代理人
山田尚典
右訴訟復代理人
加藤徹
同
中鉢秀一
被告
刈谷市
右代表者市長
角岡与
右訴訟代理人
稲生紀
同
大塚錥子
被告
株式会社グリーンアートセンター
右代表者
山口継男
被告
畠山みどりこと
千秋みどり
右二名訴訟代理人
遠藤雄司
被告
子安興行社こと
子安清八
右訴訟代理人
山本隆幸
同
木村利栄
右両名訴訟復代理人
蓮見享
主文
一 被告らは各自、原告に対し、金七三八三万六八四一円及びこれに対する昭和四八年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求はこれを棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自原告に対し、金一億四七二〇万八四八五円及びこれに対する昭和四八年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件の事案の概要
(一) 当事者
(1) 原告(昭和一二年六月二日生)は、昭和三八年ころ芸能界入りし、「八代英太」の芸名で司会や歌謡ものまね漫談等を行い昭和四八年ころには日本テレビの「お昼のワイドショー」などに出演していた。そして、原告が代表取締役をしている有限会社オフィス・イー・ワイ(以下オフィスEYという。)は、原告のタレントとしての活動を主たる事業としている。原告の弟訴外前島光義はオフィスEYの従業員で原告担当のマネージャーをしていた。
(2) 被告刈谷市(以下被告市という。)は、公の営造物として愛知県刈谷市大手町二丁目二五番地に刈谷市民会館(以下本件会館という。)を所有し管理している。
(3) 被告千秋みどりは、「畠山みどり」の芸名で歌手として知られ、昭和四八年六月三日の本件事故当時、同被告の芸能活動を主に扱うプロダクションである被告株式会社グリーンアートセンター(以下被告グリーンアートという。)の共同代表取締役の地位にあつた。
訴外池田信雄及び訴外篠田光央は、当時被告グリーンアートの従業員であり、池田は被告千秋担当のマネージャー、篠田は被告千秋の芸能マネージャー見習であつた。
(4) 被告子安清八は、大垣市において子安興行社の名で興行の企画、実施、芸能人斡旋等の業を営み、訴外加藤勝司郎及び訴外木村勝彦はその従業員であつた。
(二) 本件事故の発生
(1) 原告は、昭和四八年六月三日本件会館の舞台において「畠山みどりショー」の名で行われたショーに出演し、舞台に出てセンターマイクの前に立ち前口上を述べたあと、当時流行していたピンカラトリオの「女の道」を歌うためセンターマイクの前から数歩後退したところ、同マイクの後方一・七メートルの位置に設けられていた舞台のセリが奈落の底まで下げられていたため、同日午後一時五〇分ころ、後向きのままセリ穴に落ち、四・七メートル下の奈落の底まで墜落した(以下本件事故という。)。
(2) 原告は、本件事故後、直ちに知立市の秋田病院に運ばれ、翌六月四日刈谷市内の豊田病院に転院し、同年八月二一日東京厚生年金病院に再転院し、同年一二月二二日同病院を退院した。
(3) 原告は、本件事故により、第一一、一二胸椎間脱臼、第一二胸椎骨折、脊髄損傷の傷害を負い、下半身不髄となり、身体障害者等級表による級別では一級と認定される後遺症を負い、現在なお車椅子の生活を余儀なくされている。
(4) なお、原告は、本件事故後の昭和四九年一月八日、日本テレビの「お昼のワイドショー」に復帰したが、出演料は減額され、右番組も昭和五二年四月に降番した。そして同年七月の参議院議員選挙に立候補して当選し、昭和五八年選挙でも再選され、現在参議院議員の地位にある。
(三) ショーの企画と出演契約
(1) 訴外株式会社三栄組(以下三栄組という。)は、恒例の社員表彰の式典及び慰安会を開催するため、昭和四八年三月一五日、被告市に対し、同年六月三日午前九時から午後九時までの本件会館ホール(舞台及び観覧施設)の使用許可を申請し、同年五月一〇日に許可を受けた。
(2) 三栄組は、同社社員及びその家族のための慰安会の部分について演芸ショーの開催を被告子安に依頼し、被告子安との間で、同年三月二〇日ころ請負契約を締結した。
被告子安は、三栄組と打合せて昼の部、夜の部各二時間半のショーを企画し、主な出演者として畠山みどり(被告千秋)のほか、八代英太(原告)、三味線民謡の早川正一、浪曲宮川左燕らのタレントを人選して各出演者側と出演契約を締結し、更に、昼、夜二回のショーを第一部、第二部に分け、第一部約一時間に民謡、浪曲、音楽ショーを盛り込み、第二部の歌謡ショー約一時間半を「畠山みどりショー」として、その間に、原告(約二〇分)及び椎野寿脩(芸名しいの実)(二曲分)の出演を組み込むよう、ショー構成の概略を決めた。
(3) 昭和四八年三月ころ、被告子安のマネージャーである訴外加藤勝司郎は、オフィスEYの前島光義に電話で、同年六月三日本件会館において開催される会社の慰安会に二〇分程度ずつ二回原告が出演するよう依頼し、前島光義から承諾を得て、オフィスEYとの間で原告についての出演契約が締結された。
オフィスEYと被告子安との右契約は、出演料のほか、原告の食事代、東京から刈谷駅までの交通費は被告子安が負担し、その手配をするいわゆるアゴ(食事)、アシ(交通費)付きの契約であつた。
(4) 同年三月下旬ころ、被告子安の加藤は被告グリーンアートの営業部長山崎に対し、電話で、同年六月三日の慰安会での歌謡ショー(畠山みどりショー)二回に畠山みどりの出演を依頼し、その承諾を得て、被告千秋についての出演契約が締結された。
この出演契約においては、被告子安は被告千秋の出演する日時・場所を指示するだけで、「畠山みどりショー」における被告千秋の出演内容(ショーの企画、構成、プログラム等。但し、「畠山みどりショー」の中での原告の出演時期、ショー当日の舞台進行担当者及び本件セリの使用の点を除く。これらについては後述する。)は、すべて被告グリーンアート及び被告千秋側で決めることになつていた。
(四) 昭和四八年五月二八日の打合せ
(1) 被告千秋は、和歌山県白浜温泉での興行の帰途を利用して、昭和四八年五月二八日本件会館の下見分と打合せを兼ねて本件会館を訪れ、同日午前九時ころから本件会館の舞台等を下見し、同日一一時ころまで同会館応接室で、同年六月三日の「畠山みどりショー」に関して被告市の職員と打合せをした。その席には、被告千秋の側から、同人とマネージャーの池田及び芸能マネージャー見習の篠田光央が、会館側から、市民会館事務局次長兼施設係長の谷謙次、施設係員の石川実、同係員(舞台設備操作担当)の樅山伸一、音響(ミキサー)担当係員の井上健一、照明担当係員の磯村嶽広が出席し、打合せ途中から被告千秋の希望により照明(センターピン)担当係員の神谷邦光も参加した。
(2) 本件セリの状況
本件会館ホール舞台(最大横幅約二一メートル、奥行約一〇メートル、以下本件舞台という。)は板張りであり、舞台中央前端一帯にフットライト装置があり、前端から一メートル後方にセンターマイクが、センターマイクの後方一・七メートルの位置に幅二・〇五メートル、奥行一・七七メートル、奈落の床面までの深さ四・七メートルの小迫り(以下本件セリという。)が存在する。そして、本件セリには、ステージ面から二・二六メートル下降した位置で停止させて、奈落からその位置まで昇降できる仮階段が置かれている。本件セリを、ステージ面から仮階段の高さまで下降させるのに必要な片道所要時間は二五秒、またステージ面から奈落まで下降させるのに必要な片道所要時間は五二秒である。
なお、本件舞台の両側には舞台袖と花道がついており、客席から舞台に向かつて右側(上手)袖には、センターマイク、どん帳、セリ等の操作スイッチボックスと右側袖幕及び吊り物装置の操作綱がある。
(3) 打合せでは、被告千秋側が用意した「畠山みどり進行表」(乙第三号証)に基づき、約二三曲の歌等の順を追つて被告千秋側と会館側の各担当者との間で照明、音響、舞台操作等について打合せされたが、舞台下見の際にセリ装置があることに気付いていた被告千秋から、演出効果を上げるため本件セリを使用したい旨の申し出があり、同被告は本件会館から被告子安の加藤に電話して同被告の出演のためにセリを使用することについて加藤の了解を得、被告千秋側と会館側との打合せにより次のとおり四回のセリ使用が決められた。
(一回目) 畠山みどりショー開幕時に、被告千秋が本件セリに乗つて登場する。あらかじめセリに乗つて客席から見えないところまで下げておき、どん帳が上がると同時にセリを上げて舞台に登場する。
(二回目) 被告千秋が四曲目の歌のあと日本太鼓を打つため、二曲目の「どさんこ一代」の前奏のはじめでセリを下降させて太鼓を乗せ、四曲目の「桑名の殿様」の歌い終りでセリを上げる。
右の使用について、被告市(会館)の舞台担当者側から、被告千秋が舞台上に出演中にセリを下げるのは危険であることが指摘された結果、被告千秋は、右セリの上下する間は花道と客席に出て歌うことになつた。
(三回目) 被告千秋が太鼓を使用後舞台袖に退場すれば、セリ上の太鼓を奈落におろしてセリを上げる。
右使用について、被告市(会館)の舞台担当者側から、被告千秋の太鼓打ちのあと出演する椎野が、セリが上りきらないうちに舞台に立つのは危険であるとの指摘があり、これに対し被告千秋からできるだけ司会の口上で時間をつなぎ、かつ、椎野には中央のセリを避けてハンドマイクで歌つてもらえばよいとの話があつた。
(四回目) 原告の出演終了後、被告千秋が再び舞台へ出るために、原告出演中にセリを下げる(そのタイミング及び原告への伝達、調整方法について、五月二八日にどのような打合せがあつたかについては後述する。)。
(4) 右打合せの場で、被告千秋は、原告が「畠山みどりショー」の途中で約二〇分出演する予定であること等について本件会館から被告子安の加藤に電話を入れ、加藤との話合いの結果、原告の持時間を一五分に短縮し、又、原告の出演時期については被告千秋の都合のよいところに時間を設定することになつた。
そこで、被告千秋は、その出演の中ば過ぎ「望郷紙芝居」の歌のあと「出世街道」の前に原告の出演時間を設定することとしてその場で被告市側に伝えた。
なお、この加藤との電話の際、被告千秋から加藤に対して本件会館のセリ使用の申し出があり、加藤がこれを了承したことは前記のとおりである。
(5) 右五月二八日の被告千秋側と会館側の打合せの際には、被告千秋があらかじめ用意した進行表(乙第三号証)の他に、その場で被告千秋側の前記の篠田がメモした「畠山みどりショー(進行表)」(乙第二号証)及び、被告千秋が主として会館の音響担当者のために自ら作成したメモ(「ミキサー様」乙第四号証)が会館職員に交付され、被告市では、右打合せの数日後、これらの進行表やメモに基づき、ショー当日の会館の舞台、照明、音響等操作担当者のために、「畠山みどり進行表」(乙第五号証)を作成して各職員に配布した。
(五) その他の打合せ
(1) 三栄組は、前記のとおり被告市から会館使用許可を得た後、昭和四八年五月二六日ころ、本件会館に出向き、六月三日当日の会館使用について、会館側に、表彰式等の式典と、その後の第一部、第二部の慰安会の順序構成等を説明した。
(2) 被告子安の加藤は、三栄組との前記請負契約後、出演者氏名を書いたメモを昭和四八年三月下旬ころ会館の石川に手渡した。
(3) また被告子安の加藤は、昭和四八年五月三〇日ころ原告側に電話して、六月三日当日のショーが午後一時から開演されること等を告げ、到着時刻の打合せをし、原告は午後〇時三六分刈谷駅に到着することになつた。
(4) なお、右五月二八日の打合せには、原告側及び被告子安は出席しておらず、その後六月三日の本件事故当日までの間に被告らのいずれからも、原告に対して原告出演中のセリ使用について連絡したことはなかつた。
(六) 昭和四八年六月三日当日
(1) 被告千秋らの一行は、「畠山みどりショー」に出演するため、昭和四八年六月三日当日午前六時ころ東京から本件会館に到着して待機し、午前九時ころから舞台上でのリハーサルや楽団との音合せ等出演準備を進めた。
被告子安の加藤と木村勝彦は、当日本件会館に出向いており、右リハーサル直前に加藤が被告千秋ら一行と会館職員、楽団員らを引合わせ、リハーサル開始後加藤はしばらくこれを見ていたが、間もなくその場を離れた。
(2) 三栄組の式典は午前一一時三〇分から開始され、正午過ぎから慰安会の第一部が開始された。
第一部については、当日被告子安の木村が、各出演者(民謡の早川正一、浪曲の宮川左燕、音楽ショーのあきれたダンディーズ)に対する出番の連絡をした。
そして、プログラムは、予定よりやや遅れて、午後一時一〇分過ぎから、慰安会の第二部(以下本件ショーという。)が、山口賢こと吉田賢二(以下吉田という。)の司会担当で開幕された。
吉田は、もと被告グリーンアートの従業員であり、主として被告千秋のショーの司会を担当していた。本件ショー直前の昭和四八年五月末には被告グリーンアートを退職していたが、被告グリーンアートから依頼されて本件ショーの被告千秋関係の司会を請負い、なお当日の原告及び椎野出演部分についても司会を担当した。
(3) 原告は、マネージャーの前島光義とともに、被告子安との打合せ通りの列車で、同日午後零時三六分過ぎ刈谷駅に到着し、出迎えの被告子安の車で、被告子安及びたまたま来合わせていたタレントの東京ぼん太と同乗して、車で五分程の距離にある本件会館に到着した。そして、直ちに一階控室で、楽団との曲目の打合せ、音合せをする等出演準備にとりかかつた。原告は、一五分の持時間の中で、漫談のほか、「女の道」、「赤いハンカチ」、「赤城の子守歌」、「月の沙漠」の四曲を歌うつもりであつた。
(4) 原告到着後、控室において、被告子安の加藤は、原告出演の際三栄組から花束の贈呈がある旨を伝えた。
(5) 原告出演中、被告千秋の出演準備のため本件セリが下げられることが被告ら関係者のだれかから原告に伝えられた(そのセリ下げの時機についての原告との打合せ及びその連絡経路については後述する。)。
(七) 事故発生時の状況
(1) 原告は、司会者吉田の紹介を受けて、同日午後一時五〇分ころ上手袖から舞台に登場した。会場の照明はおおむね消され、センターマイクに向かう原告をスポットライトが追い、センターマイクの前に立つたところで舞台前方を照らすライトが点灯された。
(2) 原告がセンターマイクの前に立ち、前記ライトによつて舞台が明るくなり、前口上を始めたころ、本件セリが下ろされた。
この時、本件セリのセリ下げの合図を送つたのは被告市(会館)の職員であり、舞台上手袖の操作スイッチボックスのボタンを操作してセリを下ろしたのは、被告市(会館)の担当職員樅山伸一である。
2 本件事故に至る経緯等
(一) 昭和四八年五月二八日、本件会館において被告市と被告千秋らとは、前項(四)記載のとおり打合せを行なつた。これにより、被告千秋は本件ショー当日の総合舞台進行を決定し、その進行表を作成した。しかし、その際、原告出演中の被告千秋のための本件セリ使用については、使用することのみが決定され、セリ下げ時機を具体的にいつにするかは決定されなかつた。
(二) 原告は、昭和四八年六月三日午後零時三六分過ぎに刈谷駅到着後、出迎えに来ていた被告子安及び前記加藤勝司郎から、原告の出演するのは、三栄組の慰安会であり、「畠山みどりショー」の中のゲスト出演であることを知らされた。
(三) そして、出演時間が迫つていたため、原告は、本件会館到着後直ちに一階のバンド控室で原告の用意した譜面に基づいて、予定の曲につきバンドとのテンポ合せと音合せ等の打合せを行なつた。その後、二階の原告に割当てられた控室において舞台衣裳に着替えをしたが、同所で被告子安の加藤から、原告の出演中に、当日たまたま本件会館に来合わせていたタレントの東京ぼん太を引き出してほしい旨と、三栄組から原告に対する花束贈呈がある旨を聞かされた。
(四) その頃、被告グリーンアートの池田が二階の控室に原告を尋ねて、「畠山みどりショー」の中でゲスト出演という形で出てもらいたい旨を告げると共に、進行表を渡し、出演時間は午後一時四〇分であること、出演中に花束贈呈があること、原告が舞台に出ている間に、被告千秋が本件セリを使うためにセリ下げをすることを伝えた。
そこで、原告は池田に対し、「女の道」「赤いハンカチ」「赤城の子守唄」の三曲をこの順序で歌うから、花束贈呈は「赤城の子守唄」の後にして欲しい、そして、花束贈呈の後で最後に「月の砂漠」を歌うから、セリを下ろすのは「月の砂漠」の曲が始まつてからにして欲しいと告げ、池田もこれを了承した。
(五) 右池田との打合せと前後して、被告市の職員である石川が、原告の控室を訪れ、原告に対して、出演中に本件セリを使用するので、そのセリ下げ時機の要望を尋ねた。そこで、原告は、石川に対して、池田に対して述べたのと同様に、三曲唄つた後に花束贈呈があり、その後でハンドマイクに切り替えて「月の砂漠」を歌うので、「月の砂漠」が始まつてからセリを下げてほしいと述べ、石川はこれを了承した。
右石川との打合せの事実について、原告は本件事故による受傷の程度が大きかつたことなどのため記憶を喪失していたが、昭和五四年一一月一五日の本件訴訟における検証の際、事故後初めて事故現場に立ち、当時と同じ状況において石川と対面して、同人との打合せの事実の記憶がよみがえつたのである。
(六) 原告は、出演直前に舞台上手袖で待機していた際、司会担当の吉田から、原告の出演終了後の被告千秋の出演のためセリが下げられる旨を聞いたので、吉田に対し、前記池田及び石川との打合せと同じく、花束贈呈後にセリを下げるように申し入れ、打合せができたその時、被告市のセリ操作担当職員は、右打合せ内容を傍で聞いて知つていた。
(七) 原告は舞台に出て間もなく、前記1の(二)及び(七)記載のとおり、センターマイクから二、三歩後退したところ、この時既に本件セリが打合せに反して奈落の底まで下げられていたため、後向きのまま墜落するに至つたものである。
なお、この時、原告は正面からスポットライトによつて強い光線を浴びせられており、本件セリはもちろん足下さえ見えない状態であつた。
前記のとおり、原告出演直後の本件セリのセリ下げの操作を行つたのは、被告市(会館)の職員樅山伸一であるが、右樅山に合図を送つた会館職員は、当日インカムをつけて舞台設備操作担当者らと連絡をとつていた前記谷又は石川であるが、本件全立証を通じて、石川が前記被告グリーンアートの篠田に対し「セリは(原告出演中の)後半に下がる」旨伝えたことが明らかであり、その石川が原告出演直後にセリ下げの合図を送ることは不自然といわざるを得ないから、樅山に合図を送つたのは谷である可能性が強い。
(八)(本件セリの危険性)
本件セリの位置等の状況は、前記1の(四)の(2)のとおりであるところ、特にセンターマイクからの距離が一・七メートルしかないのであるから、出演者がセンターマイクを使用している時に本件セリを下降させることは、墜落する蓋然性が高く、甚だ危険である。
3 被告らの責任
(一) 被告市の責任
(1) 使用者責任
(ア) 谷は、刈谷市民会館事務局次長兼施設係長として、本件セリの管理及び操作の責任者であるところ、前記1の(四)の昭和四八年五月二八日の被告千秋との打合せの際、原告がセンターマイクを使用して一五分間にわたつて演技をすること、その間に本件セリを下降させることは甚だ危険であること、及びそのセリ下げの具体的時機は原告不在のため確定されていないことを十分認識していた。
従つて、被告千秋からの原告出演中の四回目のセリ使用の申し出に対しては、これを不許可とするか、仮に許可する場合には、本来出演者間の調整をなすべき被告子安に対し、同日の打合せの内容を告げて被告子安の立場において舞台進行責任者を定めた上で被告千秋側と原告との間の連絡調整をしてセリ下げの時機を会館側に連絡するよう指示するか、そうでなければ、舞台装置の管理責任者としてセリを操作する以上は、自ら原告及び被告千秋側と十分に打合せをしてセリ下げ時機の同意を得たうえ、セリ操作時機を詳細に記載した進行表を作成して原告を含めた関係者に周知徹底させ、当日の舞台進行責任者を明確にし、事前に原告をも立会わせて本件セリ使用のリハーサルをする等の事故発生防止措置をとるべき義務がある。特に、右の打合せの義務は被告グリーンアート及び被告子安の、原告との連絡周知義務と併存するものであつて、これら他の被告に任せてしまえばよいというものではない。
しかるに、谷は、五月二八日の被告千秋のセリ使用の申し出に対し、原告出演中のセリ下げの具体的時機を明確に定めないまま、原告出演中のセリ使用を漫然と決定し、かつ、その後においても、本件セリ使用までの間に、被告子安、同千秋側及び原告に対する連絡等の安全措置を講じなかつた。
そのため、本件事故は発生した。
(イ) 石川は、本件会館の施設係員として、本件事故当日、それまで明確に定まつていなかつた原告出演中のセリ下げの時機について原告と打合せするため、前記2の(五)記載のとおり原告の控室を訪れ、原告から三曲後の花束贈呈のあと、四曲目の「月の砂漠」が始まつてからセリを下げて欲しい旨を聞き、これを了承したのであるから、この打合せの結果を上司である谷及びセリ下げのボタン操作を行う会館職員の樅山にも告げて周知徹底させるべきであるのにこれを怠り、単に被告グリーンアートの篠田に対してセリは(原告出演中の)後半に下がるといつたのみで放置した。その結果、セリは原告の要望どおりの時機に下がらず、本件事故が発生した。
(ウ) 本件セリの昇降ボタン操作係であつた樅山は、少なくとも昭和四八年五月二八日の被告千秋側と会館側の前記打合せの際には原告が不在のため原告出演中のセリ下げの時機を確定できなかつたことを承知していたのであるから、自らセリを下げる前に原告自身がセリ下げを承知していかなるタイミングで下げるか、どのような場面で誰と誰との合意によつてそれが確定されたかを確認しておくべきであつた。しかるに、樅山はこの義務を怠り、会館職員の誰かからの合図によつて、原告が舞台に出、センターマイクの前で演技を開始して間もなく、漫然とセリ下げのボタンを押したのである。のみならず、樅山としては、その際原告が正面からスポットライトを当てられ、後方が全く見えない状態で演技していることを現認しつつボタン操作を行つたのであり、次に出演する被告千秋が舞台にセリ上がるにはその必要もない、舞台関係者としての常識に反する時機に、原告にとつては一〇分以上にわたり真うしろに危険なセリ穴が空くことを承知しながら漫然とセリを奈落まで下げたのである。
(エ) 谷、石川及び樅山の右各行為はいずれも不法行為を構成するところ、谷、石川及び樅山は被告市の職員であり、その職務の執行につき右各不法行為を犯したものであるから、被告市は民法七一五条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。
(2) 国家賠償法二条一項の責任
本件事故は刈谷市民会館の構造上の瑕疵のため発生したものである。すなわち、前記のとおり、本件セリは間口二メートル、奥行一・八メートル、奈落からの高さ五メートルであるが、センターマイクから一・七メートルしか離れていないため、センターマイク使用中に本件セリを下げれば、必然ないしは高度の蓋然性をもつて人が墜落することは避けられない。このようにセンターマイクのすぐ後方に人が墜落するようなセリが設けられているという舞台構造には、明らかに瑕疵があり、そのために本件事故が発生したというべきである。
刈谷市民会館は被告市が所有し、管理する公の営造物であるから、被告市は国家賠償法二条一項に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(二) 被告千秋の責任
被告千秋は、本件事故当時、被告グリーンアートの代表取締役であり、かつ、同社の主演歌手として、前記1の(三)の(4)のとおり被告子安と被告グリーンアートとの間の契約により、同人の出演する「畠山みどりショー」については、その内容等の一切を決定しうる地位にあつた。
ところで、被告千秋は、五月二八日の打合せの際、被告市の谷から原告出演中にセリを下げることは危険だから反対である旨の意見が述べられたのに、これを押し切つて、原告出演中の本件セリ使用を、原告不在の打合せであるため明確なセリ下げ時機を定めようもなく、現に定めないままに決定させた。そして、右セリ使用は、被告千秋が、舞台へ登場するためのものであつて、自らの舞台効果をはかつたものである。又、右使用が原告に及ぼす危険性については、被告市から指摘されて十分に認識しているところである。
従つて、被告千秋としては、原告出演中のセリ使用について被告市の許可を得て決定した以上、その事実を原告に告げてその了解をとり、セリ下げの時機を打合わせるか、そうでなければ被告子安に告げ、被告子安に対して原告との打合せ及びリハーサルの機会を作つてくれるよう殊更促がすべきであり、それによつて原告本人の承諾とセリ使用時機の確定ができない限り、当日の原告出演中のセリ使用は中止すべきであつた。しかるに、被告千秋は一切そのような行動をとらず、本件当日のリハーサルにおいても、原告出演時の第四回目のセリ使用についてはリハーサルをしないまま放置した。
のみならず、本件当日まで原告出演中のセリ下げの時機が未確定であつたのであるから、遅くとも原告の出演前に、セリ下げの具体的時機について確認し、直接又は被告子安を通じてセリ下げの時機が被告市の舞台設備担当者に確実に伝達されるよう自ら手筈をなし、その結果を確認するか、又は被告グリーンアートの担当者にその確認をさせる義務があつた。しかるに、被告千秋はこの義務も怠つたため、本件事故が発生した。
よつて、被告千秋は民法七〇九条に基づき本件事故による原告の損害を賠償する責任を負う。
(三) 被告グリーンアートの責任
(1) 被告千秋の行為による責任
前記(二)の被告千秋の不法行為は、被告千秋が被告グリーンアートの代表取締役としてのその職務を行なうにつき犯したものであるから、被告グリーンアートは、本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(2) 池田の行為による責任
(ア) 池田は被告グリーンアートの従業員であるが、昭和四八年五月二八日の被告市側との打合せの席で、被告千秋から、特に本件セリ使用について、原告との間で、原告の演技内容等とからめて本件セリ下げ時期等を打合せるよう命じられていた。
そこで、池田は前記2(四)記載のとおり、本件事故当日、原告と右打合せを行なつたが、その際、原告から本件セリを下ろすのは、最後に歌う「月の砂漠」の曲が始まつてからにして欲しい旨の申入れを受け、これを了承したにもかかわらず、右打合せ内容を、本件セリのボタン操作係である樅山や、樅山に本件セリ操作の合図を送る係である石川らに周知徹底させなかつた。
(イ) 本件セリが原告出演の当初から下げられているのに、原告が池田との打合せどおり本件セリは最後に歌う「月の砂漠」の曲が始まつてから下がるものと信じて演技すれば、本件事故発生の危険性は極めて高いのであるから、池田は右打合せ内容を会館職員等に周知徹底すべき義務を有するものというべきであるが、池田はこれを怠り、本件事故を発生させたものである。
(ウ) 従つて、池田は民法七〇九条による不法行為責任を有し、右池田の不法行為は、被告グリーンアートの事業執行につきなされたものであるから、被告グリーンアートは民法七一五条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(3) 吉田の行為による責任
(ア) 吉田は少なくとも本件事故の一か月位前までは、被告グリーンアートの従業員であり、本件事故当時も従業員同様の行動をしており、本件事故当日も、被告グリーンアートから「畠山みどりショー」の総合司会をするよう命ぜられてこれを引き受け、その代表取締役である被告千秋の完全な指揮命令下にあつた。
(イ) 吉田は、前記2(六)記載のとおり、原告が出演のため舞台上手の袖の附近で待機している時に、前記池田との打合せ内容と同じく、花束贈呈後にセリを下げるよう申入れたのにもかかわらず、前記樅山や石川ら被告市担当職員に右申入れ内容を周知徹底させなかつたため、本件事故の発生を招いた。
(ウ) 吉田は「畠山みどりショー」の総合司会者であり、本件セリが危険なものであることを十分認識していたのであるから、樅山や石川に対して、原告の右申入れ内容を周知徹底すべき義務を有するものというべきであるが、吉田はこれを怠り、本件事故を発生させたものである。従つて、吉田は民法七〇九条による不法行為責任を有する。そして、吉田は本件事故当時形式的には従業員の身分を失つていたとしても、外形的、実質的には被告グリーンアートの従業員であつたから、右不法行為は被告グリーンアートの事業執行につきなされたものというべく、被告グリーンアートは民法七一五条に基づき、本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(4) 債務不履行責任
被告グリーンアートは前記のとおり、被告子安との出演契約において、「畠山みどりショー」の内容について、ショーの総合企画、構成、進行プログラム、演出など一切の決定を任され、原告が右ショーにゲスト出演することが決まつてからは、原告のゲストショーを含む「畠山みどりショー」全体の構成について被告子安から一任されたのであるから、被告子安の原告に対する契約上の危険防止義務を重畳的に引き受けたものというべきである。
ところが被告グリーンアートは前記(三)(1)ないし(3)記載のとおり、その代表取締役や従業員の行為によつて本件事故を発生させたものであり、十分な危険防止措置をとつたものとはいえないから、債務不履行により、本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(四) 被告子安の責任
(1) 債務不履行責任
(ア) 原告(オフィスEY)が、被告子安との間に締結した出演契約では、六月三日当日、本件会館で二回のステージがあることと出演料について取り決められただけで、それ以外の詳しいことは知らされていなかつた。そしてこのような契約(地方興行の出演契約)においては、原告のような芸能人はいわゆるアゴ(食事)・アシ(交通費)つきで、出演の日丸一日興行主(この場合被告子安)に買い取られるのが慣習であつて、興行主は、個々のタレントの乗込から送りまでの間の切符の手配、食事の手配はもちろん、原告が、本件ショーに出演することに関して生ずる一切の危険を防止すべき契約上の義務を負う。
(イ) ことに、被告子安の従業員加藤勝司郎は、昭和四八年五月二八日の時点で被告千秋から連絡を受け、同被告が原告出演中にセリを使うことを知りこれを了承した(仮に加藤が知らなかつたとしても、被告子安の従業員である木村勝彦がこれを知つていた。)のであるから、原告と出演契約を締結し、しかも原告を畠山みどりショーの中に組み込むようショーを構成した被告子安としては、いつ、いかなる状況でセリを使用するのかを積極的、主体的に被告千秋側に問い質し、原告出演中に被告千秋がセリを使用したいというのであればその旨を直ちに原告に連絡し、その承諾を得た上で原告が被告千秋側及び会館の舞台係と打合せができる場を作るなど連絡調整をし、舞台進行の責任者を明確にし、セリ下げの時機を明確にした進行表を作り、更に、被告千秋のセリの使用状況によつては原告を参加させてセリを使つたリハーサルを行う手配をするなど、原告が本件ショーに出演することに関して生ずる一切の危険を防止する措置を講ずべき義務があつた。
(ウ) ところが、被告子安は、これらの義務の一切を怠つたため本件事故の発生を見たのであるから、被告子安は、債務不履行により本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
(2) 不法行為責任
被告子安は、本件セリ使用の危険性を認識しかつ前記のとおり原告出演中に本件セリが使用されることを知つていたのであるから、芸能プロモーターとして、前記のように打合せ連絡義務ないし関係者間で打合せや連絡ができるような機会の設定義務を負うところ、前記のように、本件セリ下げに関しても何らの配慮を加えることなく漫然と本件ショーを進行させたため、本件事故を発生させた。
よつて、被告子安の右注意義務違反は、不法行為をも構成する。
(五) 被告ら四名は、それぞれの立場において、具体的危険にさらされることになつた原告に対し、右(一)ないし(四)記載の危険防止措置をそれぞれとるべきであつたのにこれを怠り、原告の同意を得て関係者間で十分連絡調査をすることなく、そのような連絡調整の機会を作ることもなく、当日の舞台進行責任者を互いに明確に定めることもせず、原告出演中の本件セリ使用に限つて直接本人と完全な打合せをせず、最後まで原告の出し物の内容さえ明確に把握していない状態で事故を迎えたのであつて、これらの危険防止措置について、被告市は被告千秋ないし被告グリーンアートが行うものと独断し、被告千秋側は会館(被告市)側に任せたものと責任を回避し、被告子安は全く無関心という有様で経過し、最後に会館職員(谷又は石川)は舞台の状況を見ていて危険と知りながら漫然と樅山にセリ下げを指示し、樅山も漫然とセリを下げて本件事故を発生させたのである。
従つて、右(一)ないし(四)記載の被告らの不法行為あるいは債務不履行は相互に競合し、関連し合つて本件事故を発生せしめたものであるから、被告らは連帯して本件事故による原告の損害を賠償する責任を有する。
4 損害 (合計金一億四七二〇万八四八五円)
(一) 積極的損害 金四九一万四〇一四円
(1) 入院中の諸費用
原告は、本件事故の当日から、昭和四八年一二月二二日に東京厚生年金病院を退院するまでの期間中に次の損害を被つた。
(ア) 入院費 一〇〇万三七一九円
(イ) 食事代 五〇万円
脊髄損傷は高蛋白質を必要とし、毎日鳥肉、牛肉等の肉類と新鮮な野菜を多く摂取しなければならなかつたため、原告は毎日三食共、病院の食事のほかに追加栄養をとつたので、その費用。
(ウ) 電話代 九万円
入院中原告の仕事処理のために要したもの。
(エ) 交通費 四五万三六〇〇円
入退院のため、及び仕事上の事務連絡のため要したもの。
(オ) 自動車改造費 五万円
原告の乗り降りに便利なように自家用車を一部改造した。
(カ) ガソリン代 五万円
刈谷・東京間自家用車使用分。
(2) 原告が仕事に復帰するために要した費用
(ア) 仕事に復帰するための挨拶廻りに要した品代 五〇万円
(イ) 電動車椅子 三一万円
手動車椅子は、片手でハンドマイクを使いながら、場所を移動するのに不便であり、又、本人の力負担があつて疲れるので電動車椅子が必要となる。
(ウ) 手動車椅子 四万八〇〇〇円
電動車椅子の蓄電池は四時間位しかもたず、又、手動車椅子より回転が弱いので、テレビ局の床にある電力コードにひつかかると車椅子が止まるので、電動車椅子のほかに手動車椅子も必要となる。
(エ) リクライニング椅子七万円
手動車椅子の一種で、背もたれ部分の傾斜角度が変えられるものである。これは原告の自宅に置いてあり、大きいので持ち運びに適さないが、原告が自宅で調べ物をするとか、本を読むとかする場合、長時間一定の角度で尻に荷重がかかると辛いし蓐瘡になるが、リクライニング椅子であるとこれが避けられる。
(オ) 歩行用装具 九万円
股の付根から足の先までを囲む、金属・皮等で作られた枠で、原告がこれを着けて足で立つて歩くようにする。このようにして時々足に負担をかけないと、足の骨が空洞化して、ちよつとしたはずみで簡単に骨折してしまうようになるため。
(カ) ギブス 四万一〇〇〇円
原告が手術後約二か月間、背骨を保護するために上半身にはめていたもの。
(キ) ボンマット 八万八〇〇〇円
特殊な樹脂で作られ、人間の肉と似たような弾力のある米国製のマット。原告は本件事故後尻の肉を使わないため極度に減少し、尻に蓐瘡ができやすくなつているので、ボンマットの上に座つて予防している。
(ク) プッシュアップ用台一万五〇〇〇円
入院中、ベッドの上で両腕を立てて上半身を起こそうとする時、ベットのマットが柔らかくて平衡がとりにくいので、大きな積木のような、上部に手でつかむところがある木製器具(プッシュアップ用台。右手用、左手用各一個)を使つて起きあがつていたものである。
(ケ) 鉄アレイ 二万円
下半身不髄の原告は、すべての動作につき両腕が両足の代用をなさなければならないので、鉄アレイを使つて腕の筋肉を鍛えている。
(コ) 毛皮 三万円
前記ボンマットが冬期は非常に冷たくなつてじかに座ると腰が冷えるので、これを防ぐために使用する。
(サ) 便器 七〇〇〇円
洋式便器がない所で、原告が排便する時に、原告の体を支える腰掛けのような器具。
(シ) 歩行用平行棒 五万円
体操選手が使う平行棒のようなもので、リハビリテイションの機具の一つである。これで体の運動をするわけで、歩くための補助具ではない。
(ス) 住宅改装費 五九万七六九五円
車椅子用にバス、トイレ、洗面所等を改装した。
(セ) 昇降階段取付費 九〇万円
車椅子で自宅二階に上がれるようにした。
(二) 逸失利益
(1) オフィスEYの減収からの計算
(ア) 原告自身の出演料による年間収入は、すべてオフィスEYの収入として計上され、同時にオフィスEYの全収入は、原告自身の働きによるものである。
(イ) オフィスEYの、本件事故前である昭和四七年五月一日より同四八年四月三〇日まで(以下四七年度という。)の年間収入は金二三三三万五一二九円である。これに対し、続く昭和四八年五月一日より同四九年四月三〇日まで(以下四八年度という。)のオフィスEYの収入は金六六一万四五九二円であり、本件事故の前後の年度で、収入の差額は金一六七二万〇五三七円となる。そして、右各期間に原告が出演料を取得するために要した経費として、オフィスEYの売上原価と一般管理費の合計額をみると、それぞれ金一二五九万四二四八円と金一四三四万〇九〇四円であるから、この差額金を前記収入差額金から控除すると、その額は金八四六万七一九三円となる。この金額が、本件事故により出演料収入の減額として原告が被つた年間損害額とみなすことができる。
(ウ) 原告は昭和四九年一月当時三六歳であつたから、就労可能年数は三一年間であり、中間利息を控除するためこの新ホフマン係数を前記年間損害額に乗じたものが原告の逸失利益であり、次の計算式により金一億五五九七万四一六二円となる。
8,467,193×18.421=155,974,162
(エ) 休業損害
昭和四八年六月から同年一二月までの七か月間の逸失利益は、事故直前一年間の前記年間収入二三三三万五一二九円の一二分の七であるから一三六一万二一五八円となる。
(2) 原告個人名義の収入からの計算
(ア) 仮に、昭和四九年一月以降の逸失利益について(1)の計算方法が認められない場合には、次のように算出しうる。
オフィスEYにおける原告個人名義の収入は、本件事故前の四七年度は役員報酬金四三二万円と賞与金六三万九九〇〇円の合計金四九五万九九〇〇円である。
(イ) 原告は、身体障害者等級表による級別で一級とされており、労働能力喪失率は一〇〇分の一〇〇である。
(ウ) 従つて、前年度の収入額に、就労可能年数三一年に対応する新ホフマン係数を乗ずると、次のように原告の逸失利益は金九一三六万六三一七円となる。
(エ) なお、四八年度のオフィスEYの決算書上に、原告個人名義の収入として役員報酬金四三二万円と賞与九万円が計上されているが、報酬全額が未払費用とされ、現実には原告に支給されないままとなつている。
(3) 従つて、昭和四八年六月から昭和八〇年末までの本件事故による原告の逸失利益の合計は(1)の(ウ)と(エ)の合計金一億六九五八万六三二〇円であり、その内金としての金一億三二二九万四四七一円を主張するものであるが、これが認められないとしても、(2)の(ウ)と(1)の(エ)の合計一億〇四九七万八四七五円を下ることはないのである。
(三) 慰藉料
原告の本件事故及びその後遺症による肉体的、精神的苦痛を考慮すれば慰藉料として一〇〇〇万円が相当である。
よつて、原告は、被告らに対し、前記各損害賠償請求権の一部に基づき、連帯して金一億四七二〇万八四八五円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和四八年六月三日から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。
二 請求原因に対する認否及び被告らの主張
(被告市)
1 請求原因1は、「後述する。」とある部分を除き認める。
2(一) 同2(一)のうち、五月二八日に請求原因1の(四)のとおり打合せをしたこと、及び被告千秋が当日の総合舞台進行を決定した点については認める。なお、後記のとおり、市民会館は貸館であつて、使用者に対し一定時間施設をその使用に供するに過ぎず、使用者がそこで行う催物の主催者や協賛者になるのではない。たとえ、会館職員が使用者から依頼されてセリ等の設備を操作する場合でもこの関係は変らない。使用者の指示に基いてそのとおり忠実に設備を操作するだけである。従つて、五月二八日の打合せにおいても、被告市には「畠山みどりショー」のためのセリ使用を含む会館の使用についての決定権はなく、被告千秋からその使用方法について指示を受けただけである。
同2(一)のうち、原告出演中の四回目のセリ下げ時機が明確に定められていなかつた点については否認する。右のセリ下げ時機については、五月二八日の打合せの際、被告千秋により、原告がセンターマイクの前に立つたときと決定されたので、被告市としてはその指示に従うこととしたのである。
(二) 同2(二)ないし(四)は不知。
(三) 同2(五)及び(六)は否認する。
石川は本件事故当日原告に会つて打合せたことはない。原告が石川に対してセリ下げの時期について伝え、石川がこれを了承したとの主張は、昭和六〇年一月二二日付け準備書面により、最終回の同年三月五日の口頭弁論期日において初めて主張したものであるところ、本件においては、準備手続を経て、要約調書が作成されているのみならず、本件の具体的進行状況に照らし、早い時機に提出することが期待できた事項であるから、右の主張は時機に遅れた攻撃方法として却下されるべきものである。
原告は、事故発生以来、警察、検察庁、刑事法廷を通じて、会館到着後事故発生までの約一時間のできごとについて繰り返し尋ねられており、また、前島マネージャーら原告関係者と事故当日の状況について幾回となく話合つたに相違なく、それらの機会にはむしろ石川ら会館職員と当日面談した事実を明瞭に否定していたのである。にもかかわらず、事故後六年半経過した昭和五四年一一月一五日実施の本件検証の際、石川の姿を見て突如として思い出したというのは誠に不自然であり、この事実を右検証の際には何ら指摘していないのみならず、これを原告代理人に告げた時期等に関する原告本人の供述も変転めまぐるしく、右検証後の証人調べの経過に照らしても、検証の際に石川の姿を見て同人とセリ下げの時期について打合せたことを思い出したなどという事実は疑わしいといわざるを得ない。
(四) 同2(七)のうち前段の墜落までの状況は認めるが、なお書き以下は争う。正面からスポットライトを当てられていると、センターマイクの位置から本件セリが下がつていることは手にとるようにわかる。
(五) 同2(八)のうち本件セリの位置等の状況は認めるが、その余の事実は争う。本件セリは、それが下がることを全く知らないか又は予想できない場合は出演者にとつて危険であるが、下がることを知つていたり、又は予想可能な場合は危険性はない。
3 同3(一)の事実中、前記1、2で認めた事実のほかはすべて争う。
4 同3(五)は争う。
5 被告市の責任に関する主張
(一) 本件会館の性格について
本件事故当時、本件会館の管理運営は被告市の市民部市民会館事務局が担当し、同事務局は庶務係、施設係の二係からなり、施設係は舞台、照明、音響の三部門で構成され、舞台担当四人、照明担当四人、音響担当二人が配置され、いずれも被告市の職員であつた。設備の操作は、使用者側で用意した人がこれを操作し、会館職員はその近くで立会うのが建前であるが、例外的に使用者の求めに応じて職員がその指示に従つて操作することになつている。
本件会館は、地方自治法二四四条にいう公の施設であり、その管理運営は同法及び刈谷市民会館条例、同施行規則等に基づいてなされ、市民等からの使用申込みに対しては、正当な理由がない限り使用を拒否することはできない。そして、使用を許可された者は所定の使用料を前納し、事前に会館職員と会館の使用方法等必要事項を打合わせた上で使用することができるのであり、被告市としては、使用者に対し設備等を含む市民会館内の使用部分を一定時間使用に供するのであつて、その際行われる催物等を主催したり請負つたりすることはない。このように、本件会館は本来貸館たる性格を持つのであるから、本件のような歌謡シヨーが催される場合、ショーに関してタレント等関係者に対し連絡、通知、確認等の義務等を負う根拠はなく、本件においてそのような連絡等を引受けたこともない。
(二) 谷及び石川の使用者責任について
谷は、昭和四八年五月二八日の被告千秋との打合せの際、同被告に対し原告の出演中に本件セリを下げておくことは危険を伴うから止めて欲しい旨意見を述べた(但し、これは事実上の意見であり、法的協議ではない。)が、被告千秋が、「原告はプロであるから大丈夫だ」、「原告に対しては私の方で責任をもつて伝える」と言つて谷の意見を容れなかつたのである。
なお、被告市及び同職員は、「畠山みどりショー」の興行主でも演出家でもなく、ただ同ショーの会場を貸しただけであるから、セリ使用の申出を拒絶したり、原告セリ使用時期の協議をしたり、同ショーの進行表を作成したり、舞台進行責任者を定めたり、リハーサルをしたり、出演者等に注意連絡したりする権限も義務もない。それは、セリを含めて舞台を借用して使用する側の義務である。被告市職員は、ただセリを使用する者の指示に従つてセリを操作する外ない。
また、出演日の開演直前、谷の命令に従つて被告市職員の石川、樅山両名は、池田と直接会い、セリ下げ時期について昭和四八年五月二八日の打合せの結果に変更がないか否か、及び原告への連絡がついているか否かを念のため確かめたところ、池田はセリ下げ時期は変更ない旨、また原告へは伝える旨述べた。そこで石川は、五月二八日の打合せの結果と当日の池田の確認に従い、原告が舞台に登場して舞台前部が明るくなり、原告がセンターマイクの前に立つたことを現認して樅山にセリ下げの合図を送つたのである。なお、原告は、請求原因2の(七)において、右セリ下げの合図を送つたのは谷であるかの主張をしているが、これは事実に反する。右の主張は、石川が右の時機にセリ下げの合図をしたことになると、原告が石川に対し三曲歌つて花束贈呈後にセリを下げるよう指示し石川はこれを了承したとの原告の主張がいかにも矛盾するため、強引につじつまを合わせようとする暴論である。
(三) 樅山の使用者責任について
樅山は前記被告千秋と被告市職員との打合せの際にも同席して、被告千秋が池田に対し、本件セリ下げ時期につき原告へ責任をもつて連絡するよう指示したのを現認しており、本件事故当日も、池田に会つて本件セリ下げ時期の確認を得、出演直前の原告に対し直接に「セリがすぐ下がるから注意して下さい。」と述べ、原告がうなずいて「ウン」と言つたことを確認している。そこで樅山は、下手舞台袖にいた石川からセリ下げの合図を受け、更に安全確認のため奈落へ行つて待機していた豊田哲夫からも奈落は安全である旨の連絡を受けたので、セリ下げのボタンを押して本件セリを下げたのであり、何ら手落ちはない。
(四) 国家賠償法二条一項の責任について
センターマイクとセリとの間隔については何らの設置基準も設けられていないし、センターマイクとセリとの間隔が刈谷市民会館のそれよりも狭い例は全国の公共施設に数多く存在する。
本件セリが下がつているときは、センターマイクの前の位置(原告が立つていた位置)に立つていても、ほんのわずかに視線を本件セリ面に走らせれば、本件セリの枠と、その下の空洞の部分とセリ昇降のためのガードレールの柱が存在すること等が極めてはつきり見え、特に前面から照明が当たつているときは、本件セリが下がつていることはまるで手にとるようにはつきりわかる。
従つて、通常の舞台設備におけるセリやセンターマイクの利用者の利用方法、その判断能力や行動能力から考えても一・七メートルあれば決して短い距離とはいえず、本件セリの設置そのものをもつて構造上の瑕疵ということはできない。
(被告千秋及び同グリーンアート)
1 請求原因1は認める。(但し、「後述する。」とある部分は除く。)
2(一) 同2(一)のうち、五月二八日に請求原因1(四)のとおり打合せをしたこと、被告千秋が曲目の順番表を作成したこと、及び被告市と被告千秋らとの打合せの際には、四回目のセリ下げ時機は決定されなかつたことは認め、その余は否認する。本件セリの使用時期、方法についての最終的決定権限は被告市にあつた。
(二) 同2(二)、(三)は不知。
(三) 同2(四)は否認する。
(四) 同2(五)は不知。
(五) 同2(六)のうち、原告が舞台上手袖で吉田に対し、花束贈呈後に本件セリを下げるよう申し入れ、両者間でその旨の打合せがあつたことは認めるが、その余は否認する。
(六) 同2(七)のうち、前段の墜落までの状況は認めるが、その余は争う。
(七) 同2(八)のうち、本件セリの位置等の状況は認めるが、その余は争う。
3(一) 同3(二)及び(五)の被告千秋の責任の項のうち、被告千秋が本件事故当時被告グリーンアートの代表取締役であつたこと、五月二八日の打合せの際、被告市の谷が原告出演中に本件セリを下げることは危険である旨の意見を述べたことは認めるが、その余は否認する。
(二) 被告千秋は、前記五月二八日の打合せの際、原告が自分の出演の間に狭まる形で出演することを被告市の職員から知らされ、はじめてこれを知つた。そこで刈谷市民会館から被告子安の加藤に電話をかけ、右事実の真否を確かめた。加藤は原告が出演することが真実であると答えるとともに、被告千秋の出演時間のどこか都合のよいところを原告の出演のため一五分間空けるよう要求した。被告千秋は反対であつたが、興行主の指示なのでやむなく了承した。この際、被告千秋は加藤に本件セリを使わせて欲しい旨申し入れ、同人の了承を得た。
このように、被告千秋は原告の出演のため「畠山みどりショー」のうち一五分間を割いたに過ぎないから、何ら責任が生ずる余地はない。
(三) そもそも、原告は被告グリーンアートとは別個独立して被告子安と出演契約を締結したのであり、実質的には「八代英太ショー」は「畠山みどりショー」とは独立した一つのショーであつた。従つて、原告と被告千秋は並列的に被告子安の指揮命令下にあり、被告千秋は原告を指揮命令する立場にはなく、原告の安全を確保すべき義務もない。
4 同3(三)及び(五)の被告グリーンアートの責任については争う。
(一) 同3(三)の(1)の被告千秋の行為による責任については、前記2に同じ。
(二) 同3(三)の(2)の池田の行為による責任については、池田が被告グリーンアートの従業員であることは認めるが、その余は否認する。
本件事故当日、池田は原告と一度も会つていない。仮に、池田と原告が会つたとしても、被告グリーンアートと原告とは、それぞれ別個独立に被告子安と出演契約を締結したのであるから、指揮命令関係はないのであつて、池田と打合せをしても、それは法的義務に基づくものではない。
また、タレントは自尊心が強く、舞台監督又は、進行責任者でなければ、他のタレントの指示に従うことを嫌うのであるから、興行主でもなく当日の舞台進行責任者でもない被告グリーンアートの池田が、セリ使用時機を決定して操作係に指示することは現実にも期待困難なことである。池田がなしうることは、本件セリが使用されることを伝達する程度のことであり、この程度の連絡は、池田及びその他の者から原告に対し、実際にもなされたところである。
(三) 同3(三)の(3)(ア)の吉田の行為による責任については、吉田は本件事故当日の被告千秋分の司会のみを被告グリーンアートから請負つただけであり、ただ、当日被告子安から、会場(刈谷市民会館)において、原告の司会もしてくれと事実上頼まれただけである。従つて吉田は被告グリーンアートの従業員として行動していた訳ではなく、被告千秋の指揮命令下にあつた訳でもない。
同(イ)について、原告が舞台上手袖付近で待機していた際に、吉田に対し花束贈呈後に本件セリを下げるよう申し入れたことは認めるが、その余は争う。
吉田は、原告との本件セリ使用時機、方法についての打合せを直ちにメモにして当日の舞台進行責任者である石川に連絡しようとメモ書きしている間に本件事故が発生したものである。
同(ウ)について、吉田が「畠山みどりショー」の司会者(原告出演部分の司会は被告子安から事実上頼まれたこと前記のとおり。)であつたことは認めるが、その余は否認する。
そもそも吉田は司会者であり、出演者の一人に過ぎないから、吉田と打合せをすれば直ちにその通りに実行されると考えること自体誤りである。
(四) 同3(三)の(4)の債務不履行責任については、すべて否認する。
原告に対する危険防止義務は、本来興行主が負担しているものであり、単に曲目の順序を決めたにすぎない被告グリーンアートにそれだけで責任が転嫁されるものではない。被告グリーンアートが契約上の危険防止義務を重畳的に引受けるには、興行主から明白な権限等の委任を受けることが必要である。
更に、被告グリーンアートは、被告千秋が五月二八日に被告子安の加藤と電話で話した折に、同人よりセリを使用することの了承を得ているのであるから、なお一層被告グリーンアートに責任が転嫁されることはない。
5 被告千秋、同グリーンアートの責任に関する同被告らの主張
(一) 五月二八日の打合せでは原告が不在のため、四回目のセリ下げの時機は決定できなかつたのである。そもそも原告がセンターマイクの前に立つた時点でセリを下げることの危険と非常識さは明白であり、右打合せで決定されなかつたからこそ会館作成の進行表(乙第五号証)にも四回目のセリ下げの時機の記入がないのである。
(二) 従つて、本件事故の第一原因は、原告がセンターマイクの前に立つた時点で、そのすぐうしろの本件セリを下した舞台施設の管理及び運行の不適切さにあり、事件当日、舞台施設の管理責任者でありセリの運行責任者として、谷及び石川は、その危険にさらされる原告の安全確保に十分注意すべき義務があつたことが明らかであり、この注意義務は他人に転嫁できるものではない。
(三) 事件当日、舞台監督という明確な担当者はいなかつたが、現実にその役割を果たしたのは舞台袖でインカムを付け、各部署に指示をしていた谷及びその補助者である石川である。従つて、本件セリ下げの時機について原告と十分連絡をとつて舞台の安全な進行を図る責任を負つていたのは谷及び石川であり、現に石川は、セリ下げの危険を避けるため原告と打合せをして後半にセリを下げるべく努力をし、そのことを被告グリーンアートの篠田に「セリを後半に下げる」と連絡したのである。しかるに本件事故が発生したのは、当日舞台進行を図つていた谷が自らの判断で樅山に対し早目のセリ下げの指示をしてしまつたためと考えるほかはない。
(四) もつとも、本来本件舞台の進行責任を担当すべき義務があつたのは、興行主である被告子安である。
被告子安は、畠山みどりショーとは別に、原告側と「八代英太ショー」について出演契約を結んだのであるから、被告千秋からセリの使用の許可を求められてこれを了承した以上、原告にそのことを伝えて打合わせるべきであつたのに、漫然と放置し、結局は連絡の不徹底により本件事故をひき起こしたのであつて、被告子安も本件事故についての責任を免れないと考える。
(五) 原告は経験豊富なタレントであり、本件のようにセリを使用する舞台にも長年立つていた専門家であるから、本件セリの使用について不安があれば、自ら契約当事者である被告子安、あるいは当日の本件セリ使用を含む舞台進行に従事していた被告市職員と十分な打合せをすべきであり、被告グリーンアートとしては、原告が右のとおり打合せするものと信じていた。従つて、被告グリーンアートに帰責事由はない。
(被告子安)
1 請求原因1は認める。(但し、「後述する。」とある部分は除く。)
ただし、同1(三)の(2)ないし(4)については、被告子安は、「畠山みどりショー」では原告の約二〇分の出演だけでなく、畠山みどりショーの総合司会者を原告とすることも企画し、この旨加藤からオフィスEYの前島光義に依頼し、また、被告グリーンアートの山崎にも話してあつた。ところが、昭和四八年五月二八日の前記打合せの日に被告千秋から加藤に電話があり、本件ショーの司会者には被告グリーンアートの者を当てるとの意見が出され、加藤はやむなくこれを了承したのである。そして、加藤は、同年五月三〇日頃原告側に電話した際(請求原因1(五)(3))、原告が「畠山みどりショー」の総合司会者となることを取りやめる旨を連絡してあつた。
同1(四)(3)について、加藤のセリ使用の了解内容としては、加藤は具体的なセリ使用時機及び原告出演中にセリ使用があることを被告千秋から聞いていないので、それを含めて了解したわけではない。
同1(五)(4)について、五月二八日の打合せに被告子安が出席しなかつたのは、右打合せは被告グリーンアート及び被告千秋が被告子安に事前に連絡することなく一方的に市民会館に赴いて行つたもので、被告子安に出席の余地はなかつたからであり、同日以降六月三日当日までの間に原告にセリ使用について連絡しなかつたのは、被告子安としては原告出演中にセリが使用されることを知らされていなかつたこと及び「畠山みどりショー」の企画、構成、進行、演出一切(右ショーの中での原告出演箇所及び原告出演中のセリ使用等を含む。)を被告グリーンアート及び被告千秋側に一任し、同被告らはこれを引受けていたからである。
2(一) 同2(一)は不知。
(二) 同2(二)のうち、原告の刈谷駅到着日時は認めるが、その余は否認する。
(三) 同2(三)は認める。
(四) 同2(四)のうち、原告と池田間の本件セリのセリ下げの時機に関する打合せの事実は否認するが、その余は認める。
(五) 同2(五)は不知。
(六) 同2(六)は不知。
(七) 同2(七)のうち、前段の墜落までの状況は認めるが、なお書きは争う。
(八) 同2(八)のうち、本件セリの位置等の状況は認めるが、その余は争う。
3 同3(四)及び(五)の被告子安の債務不履行責任及び不法行為責任は争う。この点に関する被告子安の主張は次のとおりである。
(一) 被告千秋は「畠山みどりショー」を公演する場合、ショーの企画、構成、演出、ショーの進行のすべてを同被告において決定するやり方を従前より採つており、ショーの依頼主に対してもこれに一切関与させない態度を示していたので、被告子安は、被告グリーンアートに「畠山みどりショー」の公演を依頼するにあたり、本件セリの使用時機、方法も含め、ショーの企画、構成、演出のすべてを、被告千秋と同グリーンアートの決定に委ね、同被告らも本件ショーの一切を取り仕切ることを承諾していた。
従つて、被告子安には、本件セリ使用の時機も知らされず、進行表も渡されておらず、本件セリの使用を含めた舞台進行に関与する余地は一切なく、本件ショーの進行上の責任は、出演者の生命、安全を守る義務も含めて右被告千秋及び被告グリーンアート両名及び舞台装置の管理責任者としての被告市に帰属していたものであり、かつ、本件ショーの進行責任者の選任監督についての責任も、右被告らに帰属していたのであるから、被告子安には、本件セリ使用の時機等を原告に連絡したり、関係者の連絡調整を図る義務はない。
(二) ところで、個々の出演者と個別に出演契約を結んで行ういわゆる裸ショーの寄せ集めでなく、中心となる出演者のショーに他の出演者を組み込んで一体として編成されたショーの場合には、ショーの進行の手順等を決めるのは、ショーの中心となつた主演タレント側であり、特別の取り決めのない限りは、、プロモーターは直接関与しないのが興行界の慣例であり、実情である。
現に本件でも、本件セリ使用を含めた舞台進行については、被告千秋、同グリーンアートが会館側と打合せをし、原告も被告子安とではなく被告グリーンアート側ないし会館側と打合せをしたのである。
(三) 本件事故の直接の原因となつた原告出演中のセリ使用は、被告千秋がその演出効果を高めるために発案したものであり、昭和四八年五月二八日に被告千秋が被告子安の加藤に電話でセリ使用を連絡してきた際にも、使用方法、時機等の具体的な説明はなく、加藤としても原告出演中のセリ使用を知る由もなかつた。そして、その際加藤は、セリ使用は危険だからやめた方がよいと伝えたが、被告千秋は加藤に対し、会館側と十分打合せて本件セリ使用上の安全を確保し、万一事故が生じたときはその責任は一切被告千秋側でとることを確約したので、加藤としては、それ以上本件セリの使用につき関与する余地はなかつたのである。
(四) 右五月二八日、被告子安の加藤は、被告千秋からの電話の終りで、被告市の石川と交替してもらい、同人に対し、会館側でも、セリ使用については十分に被告千秋側と打合せをして、安全に注意するよう依頼し、石川はこれを了承した。
(五) 被告子安の加藤は、昭和四八年六月三日、刈谷駅において原告に対して、一五分の漫談コーナーの出演であることを告げたところ、原告はこれを了承したのであり、原告の出演が独自性をもたず、「畠山みどりショー」と一体となるものであることに同意したのみならず、原告は、タレントとして、被告千秋が主演するショーでは、同被告が自らショーの構成、演出を担当し、プロモーターに意見をさしはさませないやり方をしていたことをかねて知悉していたから、原告が本件ショーに組み込まれた形で出演することを承諾したことにより、舞台上の危険防止措置を含めた舞台進行に関する一切は、被告千秋、同グリーンアート、及び管理者である被告市と原告とがその責任において打合せ決定すべきものであることを十分に認識していた。
(六) 仮に、被告子安に安全配慮義務があつたとしても、被告子安は、原告に対し、原告が本件ショーに出演するにつき、被告千秋、被告グリーンアート側及び被告市側と打合せをするのに必要にして十分な機会を与えていたことにより、被告子安としての義務を尽くしていたものであり、原告としても右両者間と十分な打合せをしている筈であるので、被告子安には責任はない。
即ち、原告は経験豊富なタレントであるから、本件セリ使用について不安があれば、自ら被告千秋、被告グリーンアート側及び被告市の担当者と十分打合せるべきであり、それは容易にできたのである。被告子安としては、原告が内容としては単純なセリ下げに関する右関係者との打合せを的確になすものと信じていた。そして、被告子安の加藤は、刈谷駅で原告らを出迎えた際に原告に対し、念のために、会館到着後直ちに打合せをするように注意を促がした。これによつて、現に原告は、その主張によつても、会館到着後、被告グリーンアートの池田、被告市(会館)の石川、司会者の吉田と、セリ下げの時機等について打合せをしており、更に、被告子安の被用者である木村勝彦(以下木村という。)は、原告が舞台に出る直前、楽屋から舞台に出る直前、楽屋から舞台に原告を案内したが、その途中で原告に対し「セリが降りますから気をつけて下さい。」と注意を促し、これに対し原告は、うなずいて、充分これを承知している旨の態度を示した。
(被告ら全員)
1(一) 同4(一)の積極的損害については不知。
(二) 同4(二)の逸失利益については不知又は争う。
(三) 同4(三)の慰藉料については争う。
2 逸失利益についての被告らの見解
(一) 逸失利益算定の基礎となる原告の収入について
オフィスEYの収入を原告の収入と同視することは、オフィスEYの収入全額を原告が報酬もしくは給料として支給されていたのではないから、何ら法律上の根拠がない。
(二) 原告の、タレントとしての収入を基礎とする場合、芸能人は人気の浮沈が激しいことは公知の事実であることに照らすと、原告主張の如き高収入を五〇才まで、もしくは、平均就労可能年令とされる六七才まで維持しうるとするのは、不当な主張である。
(三) 原告は、労働能力喪失率を一〇〇分の一〇〇であると主張しているが、労働能力喪失率は一般抽象的労働能力の低下ではなく、当該被害者が後遺障害により具体的に喪失した労働能力の程度を問題とするべきであるところ、原告は昭和四九年一月から同五二年四月まで日本テレビの番組に復帰し週三日ないし五日間出演し、また昭和五六年六月浅草松竹演芸場において国際障害者年記念公演に一〇日間出演し、更に昭和五二年七月以来参議院議員として活躍していることに照らしても原告の具体的労働能力喪失率を一〇〇パーセントとするのは、過大な評価である。
(四) 原告は、昭和五二年七月から参議院議員として所定の歳費等の収入を得ており、その額は原告の事故前の収入を上回つているのであつて、少なくとも現在の任期が満了となる昭和六四年六月までは、現実の損害が発生していないとみるべきである。
3 過失相殺
本件事故の発生には、次のような原告の過失が大きく寄与している。
(一) 原告は経験豊富なタレントであり、セリを使用する舞台にも長年立つていた専門家であるから、自己の出演中に本件セリが下がることを知つた以上、本件セリ使用に不安があれば、自ら積極的に、セリ下げ時機等について担当者と充分な打合せをなすべきであるのに、これを怠り漫然と舞台に出演した。
なお、打合せるべき担当者については、各被告は次のように主張する。
(1) 被告市
原告は、被告千秋、同グリーンアート及び同子安と、自ら十分な打合せをなすべきであつた。
(2) 被告千秋及び同グリーンアート
原告は、当日の舞台進行責任者又は興行主と打合せて確認すべきであつた。
(3) 被告子安
原告は、当日の舞台進行に従事していた被告市の担当者、又は被告千秋又は同グリーンアートの担当者と打合せをなすべきであつた。
(二) 本件セリがおろされている時に、センターマイクの前に立つた場合に、ほんの僅かに視線を本件セリ面に走らせれば、本件セリの枠とその下の空洞の部分並びにセリ昇降のためのガードレールの柱が存在することが極めてはつきり見えるのであつて、特に、舞台前面から照明が当つているときは、原告の立つていた位置からは、まるで手にとるようにはつきりわかるのである。
従つて、原告は、センターマイクの前に立つて歌を歌うときには、既に原告の出演中に本件セリが下げられることを知つていたのであるから、原告が立つていた場所の後方にある本件セリに視線をほんの少し向けて注意を払つたならば、本件セリが下がつていることに容易に気ずいたはずなのに、これに気ずかず、漫然とセンターマイクの前から後退したことにより本件事故が起きたのであるから、原告には重大な過失があるというべきである。
三 被告らの主張に対する原告の認否
被告らの主張は、すべて争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
(目 次)
第一 当事者間に争いのない事実
(請求原因1)
第二 本件事故に至る経緯等について(請求原因2)
一昭和四八年五月二八日の打合せ
1 四回目のセリ使用
2 被告千秋から池田に対する指示
二本件事故当日のセリ使用に関する打合せ
1 石川及び樅山と池田との打合せ
2 池田及び吉田と原告の打合せ
3 石川と原告との打合せについて
4 その他の本件セリのセリ下げに関する連絡等
5 本件セリ下げの合図と事故発生時の状況
第三 被告らの責任について(請求原因3)
一本件セリの危険性
1 本件セリの危険性と原告出演直後のセリ下げの不適切さ
2 本件会館の舞台構造について
二本件会館の使用形態
1 会館職員の舞台装置操作と使用者の打合せ義務
2 打合せに応ずる会館側の義務
三本件ショーの進行責任
1 一般の場合
2 本件の場合(各被告らの進行関与の内容等)
四被告市の責任
(被告市の条理上の安全配慮義務)
五被告千秋の責任
(セリ使用者としての原告に対する安全配慮義務)
六被告グリーンアートの責任
(池田の連絡義務懈怠による使用者責任と被告千秋の不法行為による責任)
七被告子安の責任
(出演契約に附随する安全配慮義務)
八被告らの行為の関連性
第四 損害について(請求原因4)
一積極的損害
二逸失利益
三休業損害
四損益相殺について
五過失相殺
六慰藉料
七損害額
第五 結論
第一請求原因1の事実(本件事案の概要)は、「後述する。」とある部分を除き、原告と被告ら間において争いがない。
第二 本件事故に至る経緯等について(請求原因2)
一 昭和四八年五月二八日の打合せ内容
1 右打合せの結果、昭和四八年六月三日の本件会館における「畠山みどりショー」において被告千秋が使用する四回のセリのうち、一回目から三回目については、本件セリの上げ、下げの具体的時機(きつかけ)が、また、四回目についても本件セリを上げる具体的時機が確定されたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。
そこで、四回目の本件セリ使用について、セリ下げ時機が確定していたかどうかを検討する。
(一) <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 本件会館は、基本的にはいわゆる貸館であつて、使用者から使用料を徴してホール、舞台、舞台装置等を使用させる施設であり、照明、音響、セリ等の舞台装置の操作についても使用者側が自ら操作するとの申出があればこれを許可するが、実際には、使用者側が操作する例はまれであり、むしろ使用者側の式典、演芸等の会館の使用内容、進行予定、舞台装置使用についての希望等につき使用者側と会館側で詳細の打合せをし、その打合せに基づき、会館の職員が舞台装置の操作に当たることが多かつた。右五月二八日の被告千秋側(被告千秋が代表取締役兼タレントとして所属するグリーンアートとの打合せでもある。以下、両被告を含めて、単に被告千秋側ということがある。)と会館の打合せにおいても、原告及び訴外椎野寿脩の出演を含んだ「畠山みどりショー」全体の進行上必要な舞台装置、音響、照明施設等の操作は被告市(会館)に委ねることが暗黙のうちに前提となつて(なお<証拠>によれば、前記昭和四八年三月一五日に三栄組から被告市あてに提出された本件会館の使用許可申請の時点で、既に照明、音響及び小ゼリを含む舞台設備の使用の申込みがなされていることが認められるから、会館に対する関係では、右五月二八日の被告千秋一行の打合せ以前に、三栄組又は被告子安から、これら設備の使用とその操作を会館側に依頼する申入れがあつたことを推認させる。)、被告千秋は、あらかじめ用意してあつた曲目順序等を表示した進行表に基づき、会館側担当者に進行予定を説明するとともに、舞台装置、音響、照明の各部門について演出効果等を考慮した要望を出し、会館側は適宜意見を述べるなどして「畠山みどりショー」の舞台進行について打合せをし、おおむねその内容が確定された。
(2) 本件セリの四回の使用のうち、二回目及び三回目については、被告千秋から、同女が舞台で使用する太鼓の上げ下げのためにセリを使用したいとの申出があり、その下げと上げの時機について打合せがなされた。会館側は、右のセリ使用により本件セリ穴が空いた状態で出演することになる被告千秋及び三回目の椎野に対する危険を指摘した結果、前記のとおり、二回目については、被告千秋が、セリ操作の間はセリ付近で歌うことを避け、一曲目は花道で、二曲目、三曲目は客席で歌うことにすれば大丈夫であると述べたことから、その間にセリを下げて太鼓を載せ、セリを上げることに決定した。三回目については、被告千秋が「義士小唄」を歌い終えて舞台から退場している間に太鼓を載せてセリを下げるのであるが、セリ穴が空いた状態で椎野が舞台上で歌う危険を避けるため、被告千秋は、セリが上がるまでは司会の口上で時間をつなぎ、それでもセリが上がり切らないうちに椎野が登場する場合に備えて、椎野がセンターマイクを使つて歌うのではなくハンドマイクを使い、歌の一番は舞台袖寄りで歌つてもらえばよいとし、そのことを被告千秋側で椎野に伝える旨申出たことから、そのように三回目のセリ使用の時機が決定した。その際被告千秋は、右打合せに同行していたマネージャーの池田に対し、椎野に右の旨を連絡しておくように指示した。
(3) 四回目の本件セリ使用は、原告の出演のあと被告千秋が本件セリで舞台に登場し、「出世街道」を歌うためのものであるが、セリ上げの時期については「出世街道」の始まり(楽団のイントロ)で上げて欲しいとの被告千秋の要望どおりに決つた。セリ下げの時機については、当初被告千秋が、原告出演中は楽団を休ませたいので、楽団の前にある中幕(中割幕、黒前)を下げ、その間の原告出演中に本件セリを下げて欲しい旨の申出があつたのに対し、会館側の谷及び石川から、本件セリの位置は、中幕とセンターマイクの間にあるので、中幕をおろすと原告がその位置まで後退してもよいと勘違いする危険があるとの意見を述べ、中幕を下げることに反対したため、被告千秋は右の要望を撤回し、結局、楽団の位置の照明を暗くして楽団を休ませることに決つた。ところで、「畠山みどりショー」の中間で約一五分出演することになる原告の出し物については、被告千秋側、会館側のいずれにも明確な認識はなく、「ものまね」、「おしやべり」、「漫談」あたりであろうとの認識であつたが、右の楽団休憩のための措置からも明らかなように、双方とも、少なくとも原告が歌をうたうことは全く念頭になかつた。そして、会館側の谷や石川は、会館としてはセリ下げの時機(きつかけ)を決めてもらわなければ操作ができないところ、右打合せの場に原告が同席しているわけではなく、原告の出し物も具体的にはわからないところから、被告千秋に対し、その四回目のセリ下げのきつかけを何に求めるかを尋ねたところ、被告千秋から、原告が舞台に上がればすぐにとの意味で、原告が「センターマイクに立つたところでセリを下げる」よう求めた。これに対し会館側は、そのセリ下げが原告に対して危険である旨を指摘したところ、被告千秋は、原告は「プロだから大丈夫」である旨及び原告へのセリ使用に関する連絡は被告千秋側でする旨を述べるとともに、会館側の同席するその場で池田に対し、原告へのセリ使用の連絡方を指示した。右のやりとりにより、被告千秋側と被告市(会館)側との間では、原告がセンターマイクの前に立つた時機に四回目の本件セリのセリ下げをすることが一応決つた。
(二) もつとも、前記のとおり、本件セリ操作に必要な時間は片道一分足らずであるから、被告千秋がセリに乗るための時間を加えても二、三分間あれば上下できるのであり、前掲証拠のうち被告千秋及び池田が、本件事故に関する刑事事件の捜査、公判段階及び本件訴訟において供述しているように、次に出演する被告千秋のために原告出演の当初から一五分間近くセリを下げておく必要はなく、それは被告千秋の出演の必要よりも、セリ下げのきつかけを定めることに重点を置いた時機の選択であることが明らかである。そして、会館側の谷及び石川らも、刑事事件及び本件訴訟において供述するように、右打合せに原告が不在であつたこと、セリ穴が空く時間が長いこと、センターマイクとセリの間隔が短いこと等が念頭にあつて右のようなセリ下げが危険であることを認識していたが、原告に連絡がなされ、原告がセリ下げの時期を知つておれば大丈夫であろう、また、原告の出演内容は、「ものまね」、「おしやべり」で動きのないものらしいから、出演中、うしろのセリを下げても危険はないと判断していたというのである。右の双方の認識は、その当否は別として、前掲各証拠によつて認められるところ、他方、前記当事者間に争いのない事実のとおり、原告は、被告子安の企画により、「畠山みどりショー」の中でゲスト出演するが、被告千秋とは所属プロダクションを異にする独立のタレントであり、本件セリ使用の時機等について被告千秋が決めた上でこれを機械的に指示ないし伝達すれば足りる関係にはないことは、被告千秋はもとより、会館側も右五月二八日の打合せの経緯からこれを知り得たものと認められる。これらの事実を総合すれば、原告が「センターマイクの前に立てば」四回目のセリ下げを行うという右の決定は、事柄の性質上、被告千秋側と会館側の間の了解事項であるに過ぎず、後日原告への連絡の結果、原告の意向により変更される可能性を十分含んだ趣旨のものといわざるを得ない。前掲各証拠中、五月二八日の打合せで被告千秋の指示により四回目のセリ下げの時機は確定的に決つていたとする会館側関係者の供述記載ないし証言(<証拠>)は、その限度で採用できない。
(三) 他方、被告千秋をはじめ、池田、篠田ら被告千秋側の者は、刑事事件の捜査、公判及び本件訴訟を通じ、ほぼ一貫して、五月二八日の打合せにおいて、被告千秋が、原告の出番のあとの被告千秋の出演のために原告出演中に四回目のセリ下げを行うよう会館側に申出たことはおおむね認めながら、「八代の出し物がわからなかつた」とか「八代が打合せの場にいなかつたから」とか「(六月三日の)当日、八代が会館に入つてからでも決められるので」等の理由でセリ下げの時機を決められなかつたと供述し、その決定は、右打合せの日被告千秋が被告子安の加藤に電話した際、加藤が六月三日当日原告と打合せて決めると話したのでよろしくと頼んだとか、会館側(又は被告子安と会館側)で原告と打合せて決めてくれると思つていたなどと供述している(<証拠>)。そして、五月二八日の打合せの結果と被告千秋から渡された各種進行表をもとに、会館側で舞台、照明、音響操作各担当者のためにこれをまとめた前記乙第五号証の「畠山みどり進行表」には、一回目から三回目までの各セリの上げ、下げの時機及び四回目のセリ上げの時機がおおむね明示されているが、四回目のセリ下げの時機については、右進行表を樅山が作成し、上司の谷に供閲した段階では「八代英太15分」の記載しかなく、谷が「15分」の記載の横に続けて「→セリ注意」と記入したものをコピーして会館職員に配布したのみであり(この点は、前掲会館職員の供述を記載した各書証と証言のほか、証人豊田哲夫の証言による。)、右進行表自体にはそのセリ下げ時機について紛れのない記載はないのである。
しかしながら、証人谷及び同石川(第一回)は、右進行表に四回目のセリ下げ時機を記載しなかつたことについて、それは被告千秋らとの話に熱中していたためであり、「15分→セリ注意」の記載により、右打合せに出席していた会館関係者は、原告出演後すぐセリを下げるものと理解できる旨一応の説明をしている(もつとも、証人谷が、乙第五号証の音響欄の「中エレ」(センターマイクのこと)の記載と相まつて、「原告がセンターマイクに立てばセリを下ろすことが(乙第五号証に)表示されている」旨供述するのは、いかにも強弁であり、とうてい採用の限りではない。)。そして、前掲(一)の各証拠によれば、会館側が、被告千秋側、被告子安側又は原告側との何らの打合せもなしに独自の判断でセリ下げを行うことはあり得ないと認められるところ、仮に五月二八日の打合せにおいて四回目のセリ下げの時機がなんら決つていなかつたとすれば、会館の操作担当者はセリ下げのきつかけをつかめないことになるから、六月三日のショーの当日、被告千秋側又は会館側が主導して、原告の意向を確かめた上でセリ下げの時機を確定すべく行動したはずである。しかるに、六月三日当日は、後記認定のとおり、会館側が原告の到着前に池田と五月二八日の打合せ結果を確認したのみで、他に四回目のセリ下げの時機確定に関する行動はとられておらず(会館の石川と原告との打合せが認められないことは後に認定のとおり。)、かくして、現に原告が舞台に出、センターマイクの前に立つて間もなく本件四回目のセリ下げが行われているのである。
これらの事実に照らせば、原告出演中一五分近くセリ穴を空けたままとなることの不適切さを考慮しても、なお、五月二八日に本件四回目のセリ下げの時機が何ら決つていなかつた等とする前掲被告千秋関係者の供述記載、証言及び供述は信用できず、他に右(一)の認定を左右すべき証拠はない。
また、被告千秋及び証人池田は、被告子安の加藤に対して五月二八日の打合せ中に会館から架電した際に、原告へのセリ注意の連絡を依頼した旨を供述するが、以下の事情に照らすと、いずれも採用できない。
すなわち、前記当事者間に争いのない事実と<証拠>によれば、五月二八日の打合せの途中、被告千秋が加藤に架電したのは、会館との打合せの際「畠山みどりショー」の中に原告の出演が被告子安によつて組み入れられていることを知つた被告千秋が、原告の出番を「畠山みどりショー」の時間帯から外すか、さもなくば原告の出演時間を短縮して被告千秋の持時間を若干増やすことを交渉するとともに、別途会館側に使用料の支払いを必要とするセリ使用について興行の契約者としての被告子安側の了解を得ることにあつたことが認められるから、このことが確認されて後、会館側と「畠山みどりショー」の細部の打合せに進み、その過程で四回目のセリ使用に関する問題が検討されたと解するのが自然である。したがつて、右通話の時点では、いまだ原告出演中のセリ下げのことは決定されておらず、加藤に対し原告に対するセリ注意の連絡を依頼できる段階ではなかつたというべきであるからである。
2 右打合せの席上、四回目のセリ使用について、原告への連絡を被告千秋が池田に指示した際の状況について、前記1の(一)所掲の各証拠によれば、四回目のセリ下げ時機を原告がセンターマイクの前に立つた時と決める過程で、会館側がその危険性を指摘したのに対して、被告千秋が、原告はプロだから連絡さえすれば大丈夫であるとして被告市側の了承を得て決定に至つたこと、その上で、被告千秋が池田に対して、責任を持つて原告に連絡するよう指示し、池田はこれにうなずき承諾したことが認められる。
これに対して、被告千秋は、会館側に原告への連絡を頼んだ上で、池田にも念のために依頼したものであると供述するが、これは、前記認定のようなセリ使用に関する会館側との打合せの中で池田に指示するに至つた経緯に照らし、措信し難い。
二 本件事故当日のセリ使用に関する打合せ
1 会館の石川及び樅山と被告グリーンアートの池田との打合せ
<証拠>並びに前記当事者間に争いのない事実によれば、昭和四八年六月三日、被告千秋ら畠山みどり一行は、午前六時過ぎには本件会館に到着し、午前九時ころから舞台上で会館関係者、楽団員らと音響、照明等を含めたリハーサルを行い、更に午前一〇時半ないし一一時ころから控室において楽団との音合せを行つたこと、午前一一時一〇分ころ、石川と樅山は上司の指示を受けて控室にいた池田に会い、当日のセリ操作の時機について確認したところ、池田は、本件四回目のセリ下げについては「五月二八日の打合せどおり、八代がしゃべりはじめたら下げてくれ。」「畠山は早目に仕度をしたいから。」などと述べたこと、この段階では原告はまだ会館に到着しておらず、右四回目のセリ下げについて原告との連絡ができていないことは、池田及び石川、樅山は認識していたところであり、石川は池田に対し原告への連絡方を依頼したこと、がそれぞれ認められる(もつとも、前掲甲第四、第五号証の各二、乙第一三、第一四号証、乙第二二号証の石川及び樅山の刑事事件における証人尋問調書の記載及び石川及び樅山の右証言中には、池田との右確認、打合せにおいて、四回のセリ操作について順を追つて確認したとか、原告に対するセリ下げの連絡ができているかどうか及び原告到着後の連絡を明確に、意識的に、池田に確認し、依頼したかの部分が見られるが、前掲各証拠によれば、池田との右打合せが行われた午前一一時二〇分ころは本件ショー開幕前のあわただしい時間帯であり、池田自身も被告千秋のマネージャーとしての仕事を多数抱えていたこと、また石川と樅山が谷に対し池田との右打合せ後にその報告をした時には、単に連絡した旨を述べただけで、打合せ内容については報告していないことからも、右池田との話合いは簡略なものであつたことが窺われるのであり、右石川及び樅山の証言及び供述記載どおりの明確な確認、打合せ、依頼があつたとの心証を抱くことはできない。)。
他方、証人池田の証言及び前掲甲第一四号証の二及び五ないし八の池田の刑事事件における供述記載中には、右認定に反し、池田は、当日石川及び樅山とセリ操作のことで会つたことはないとの部分が存する。しかし、前掲甲等一号証の二六及び同第八号証の二によれば、椎野は、午前一一時ころ会館に到着して控室で待機していたところ、楽団の控室の方に呼ばれ、同所で、石川から、出演中にセリが下りているから気をつけるよう周到な注意を受け、同席していた被告千秋のマネージャーと思われる人物からも「畠山みどりの義士小唄が終れば」出番となること、椎野は二曲を各二番まで歌うべきことなどの外、セリに気をつけるよう注意を受けたことが認められる。右椎野の供述記載は、おおむね石川の証言及び前掲甲第五号証の二、乙第一三、第二二号証の供述記載、樅山の前掲甲第四号証の二の供述記載とも符合する上、池田自身、当日楽屋(控室)で椎野に会い、セリの注意をしたことは、その証言及び前掲甲第一四号証の二及び六で認めているところであり、本件各証拠に照らし、控室で椎野に対し同人の出演内容やセリについての注意をした人物は、被告千秋の芸能マネージャー見習である篠田である可能性はなく、まさに池田であると認められるから、これらの事実に照らし、当日石川及び樅山とセリ操作のことで会つたことはない旨の池田の右証言及び供述記載部分はとうてい信用できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。
2 池田及び吉田と原告との打合せ
<証拠>並びに前記当事者間に争いのない事実を合わせれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、六月三日午後零時四〇分ころ本件会館に到着し、直ちに一階控室で楽団との音合せに入つたが、そのころマネージャーの前島光義は、同控室で、池田と思われる人物から、「矢代英太15分」と記載のある畠山みどりショー全体の進行表(甲第一八号証。五月二八日の打合せ当日被告千秋がその場で作成した前掲乙第四号証をもとに篠田が清書したもの。)を渡されるとともに、原告の出番が午後一時四〇分の予定であることを伝えられ、右進行表に「30分スタンバイ、40出」と記入し、そのころ原告に右進行表を渡し、出番の予定を告げた。
(二) 当日、主催者の三栄組から被告子安の加藤に対し畠山みどりへの花束贈呈の相談があり、加藤は、畠山みどり(被告千秋)のほか八代英太(原告)にも花束贈呈をするよう助言した。そして、一階控室での音合せを終えて二階控室に入つた原告に対し、加藤は、花束贈呈があること、及び当日偶然来合わせていた芸能人の東京ぼん太をできれば原告の持時間の中で出演させてほしい旨を伝えた(この点は原告と被告子安との間では争いがない。)。なお、加藤は、原告に対して花束贈呈がある旨を、そのころ、司会の吉田及び会館の石川又は谷にも伝えた。原告は加藤に、花束贈呈は三曲目の「赤城の子守歌」のあとで受けたいと希望を伝えた。
(三) そのころ、被告グリーンアートの池田が二階の控室に原告を訪ね、原告出演中の被告千秋のためのセリ下げのことを伝え、セリ下げの時機について打合せをした。原告は、池田に対し、三曲目の「赤城の子守歌」のあと花束贈呈を受け、四曲目の「月の砂漠」はハンドマイクで上手寄りで歌うから、その時にセリを下げてほしい旨告げ、池田はこれを了承した(なお、原告が豊田病院入院中に供述を録取された丙第一号証では、右池田との打合せの点が不明瞭であるが、前掲乙第七ないし第九号証の前島光義の供述記載、乙第三九号証の原告の供述記載及び原告本人の供述により優に右事実を認めることができる。また、右乙第七、第九号証には、池田が原告に対しセリ下げの話のほか花束贈呈の件を告げたかの原告主張事実に副う記載があるが、前掲甲第六号証の五及び同第八号証の三の加藤勝司郎の供述記載及び証人加藤勝司郎の証言によつても、少なくともこの段階で池田が原告に対する花束贈呈の件を知つていたとは認められず、かつ、原告自身乙第三九号証において、花束贈呈の件はセリ下げの時機に関連して自分の方から話した旨の供述をしているから、この点の右乙第七、第九号証の記載は採用しない。)。
(四) 池田との右打合せ後、司会役の吉田賢二(こと山口)が控室の原告のもとに挨拶に来て、原告出演中セリ下げのあることを話し、原告は、三曲目が終つたあとセリを下げてほしい旨を伝えた。更に原告は、出演直前舞台上手袖付近で吉田に対し、三曲目の「赤城の子守歌」のあと花束贈呈を受け、そのあと司会の吉田のハンドマイクを受取つて四曲目の「月の砂漠」を歌うから、その時にセリを下げてほしい旨を告げ、吉田はこれを了承した(舞台上手袖における原告と吉田との打合せとその内容については、原告と被告千秋及び被告グリーンアート間においては争いがない。)。
なお、原告は、右上手袖付近での原告と吉田との打合せの内容は、被告市のセリ操作担当職員も傍で聞いて知つていた旨主張し、前掲甲第七号証の二(吉田の供述記載)、丙第一号証(原告の供述記載)、証人吉田賢二の証言及び原告本人の供述中にはこれに副う部分が存するが、これはいずれも会館の職員が傍にいたから原告と吉田との話の内容を認識したであろうというあいまいなものであるから、これをもつて、会館の職員が右のセリ下げに関する打合せの内容を認識していたものと認めるには足りない。
以上の通り認められる。右(一)及び(三)の認定に反する<証拠>は信用できず、他に右認定の妨げとなる証拠はない。
3 石川と原告との打合せについて
原告は、池田との前記打合せと相前後して、控室において会館の石川と本件セリ下げ時機の打合せをしたと主張する。
(一) 被告市は、右主張が時機に遅れた攻撃方法であるから却下されるべきものと主張する。なるほど、右主張は、本件事故から一〇年以上経過し、本件訴訟の終結に近い昭和六〇年一月二二日の第二二回口頭弁論においてはじめて主張されたものであり、本件準備手続における要約調書にその主張がないことが明らかである。しかし、原告本人の供述によれば、本件訴訟の昭和五四年一一月五日の検証期日に事故後初めて本件会館に臨場し、検証現場にいた石川と対面して同人と事故当日打合せをしたとの記憶がよみがえつたというのであるから、右検証期日前に終結されていた準備手続においてその主張をしなかつたことに原告の過失があるとはいえない。また、右主張に関連する立証としては、右主張がなされる前の昭和五八年一二月一四日の第一七回口頭弁論期日から昭和五九年一〇月三日の第二〇回口頭弁論期日まで四回にわたる原告本人尋問において、石川との打合せの有無、内容等に関し当事者双方から十分な尋問がなされており、検証期日後比較的近い昭和五六年三月三〇日の第八回口頭弁論期日においては、原告代理人から証人加藤勝司郎に対し、原告が本件事故当日控室で石川と合つたことを前提とする質問がなされている。そして右主張のなされた第二二回口頭弁論期日より前の第一九回口頭弁論期日において、既に被告市は石川が原告と会つていないことの立証のために証人石川実の申請をし、同証人申請は第二一回口頭弁論期日において採用され、右主張のなされた第二二回口頭弁論期日において乙第四〇号証が提出されるとともに証人石川実の尋問が行われているのであつて、これらの審理経過に照らし、原告の右主張が時機に遅れた攻撃方法であるとはいえず、被告市のこの点の主張は採用しない。
(二) そこで、原告が石川と打合せをしたとの原告の主張について判断するに、原告本人はこれに副う供述をしているが、前掲乙第三九号証によれば、原告自身被告人池田の刑事事件の公判において石川と会つたことはないかとの質問に対し、明確にこれを否定していること、本件における原告本人の供述も、検証期日に石川の姿を見て記憶をよみがえらせた後の原告代理人に対する伝達の点にあいまいな部分があること、前掲乙第七ないし第八号証の前島光義の供述記載にも原告が控室において石川と会つたことを窺わせる記載は全くないこと、前掲甲第五号証の二、乙第一三号証及び証人石川実の証言(第一、二回)によれば、石川は池田に対する刑事事件の公判以来一貫して明確に原告と事故当日接触したことを否定していること、更に、後に認定するとおり、セリ操作をした樅山に対し本件セリ下げの合図をしたのは谷であると認めるのは困難であり、石川であると認めざるほかはないところ、石川が原告とセリ時機の打合せをし三曲目の「赤城の子守歌」のあと、花束贈呈後にセリ下げをすることを認識していたとすれば、その認識に反して原告出演直後にセリ下げの合図を送ることは経験則上あり得ないことなどに照らし、石川と打合せをした旨の原告の供述は、原告が本件事故によつて受けた衝激の大きさとそれによる記憶喪失の可能性を考慮してもなお採用し難く、他に原告の右主張を認めるべき証拠はない。
4 その他の本件セリ下げに関する連絡等
(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告の出番が近づいたころ、会館の石川は、舞台下手袖付近で、たまたま来合わせた被告子安の従業員で当日第一部については各出演者の出演順、持時間、出演時間等の連絡を担当していた木村勝彦に対し、原告出演中のセリ使用について原告に注意しておくよう依頼した。これを受けて、木村は、原告の出番の連絡のため控室に赴き、原告とともに舞台袖に向かう際、セリが下がるから注意するように告げた。その際、木村にはセリ下げの時機についての認識はなかつたため原告にこれを告げておらず、原告もまた、控室での前記池田らとの打合せのとおりの時機にセリが下がるものと考えていたため、木村との間でセリ下げの時機について確認をすることはなかつた。
右の石川から木村に対する依頼の内容について、<証拠>中には、石川が前記池田との確認の結果を谷に報告した後、木村に会い、「八代や椎野もまだ楽屋に来ていないから、セリが下がることを伝えてもらいたい。特に八代の場合は、初めから一五分間セリの穴があいているからよろしくお願いしますといつた」旨の部分があるが、石川は椎野に対しては前認定のとおり池田と確認をした際に直接セリについて注意をしているのであるから、右の椎野に関する供述記載部分は明らかに事実と矛盾するのみならず、<証拠>に照らし、右のようなセリ下げの時機ないしセリ穴の空く時間の長さにまで言及して木村に依頼したとの石川の供述記載部分は、にわかに信用し難い。
(2) 右の木村の原告に対する注意とほぼ同じころ、原告が出演のため控室から舞台袖に向かう途中、控室において池田らと原告がセリ使用に関して打合せたことを傍にいて知つていたマネージャーの前島光義が、原告にセリのことを確認したのに対し、原告は、セリは被告千秋の出演のために使われる旨と、三曲目の「赤城の子守歌」のあと花束贈呈を受けた後にセリが下がる旨を告げた。
(3) 更に、原告の出演の直前、舞台上手袖付近において、会館のセリ操作担当者の樅山伸一及び舞台装置係の加藤正好が、それぞれ原告に対し、原告出演中のセリ下げを注意した。樅山はこの前に、舞台下手袖において耳にインカムを付けて舞台関係各担当者との連絡等に当たつていた石川との間で、原告が上手から出演するならば樅山から、下手から出演するならば石川から、原告にセリについては注意を喚起するよう話合つていたものである。この際の樅山及び加藤の注意については原告には明瞭な記憶はなく、既に池田及び吉田と花束贈呈のセリ下げを打合せた後のことであり、出演直前のあわただしい状況にあつたこともあつて、樅山らの注意は先の池田らとの打合せによるセリ下げに関する注意であると考えてこれを聞き流したものと認められ、特にセリ下げの時機を確かめることはなかつた。
右の点に関し、<証拠>中には、樅山が原告に対して「おたくが出られたらすぐセリが下がりますから気をつけてください」と注意した旨の部分がある。しかし、右甲第四号証の二及び樅山証言自体において、樅山は原告に声をかけたのは「セリが下がるから帰りには気をつけてください」という言葉であつたかも知れず、要するにセリ下げ時機について意識的な会話をしたものではない趣旨を認めており、また、本件事故後間もなく行われた警察の実況見分調書(甲第一号証の六)の立会人樅山の説明に照らしても、原告出演後「すぐ」セリが下がる旨を告げたとする右の供述記載及び証言部分はにわかに採用することはできない。
(二) ところで、<証拠>によれば、被告グリーンアートの篠田は、畠山みどりショーの開演直前の午後一時半ころ舞台下手袖付近で会館の石川が追いかけてきて、原告の出演中の「後半」にセリが下がるので、この旨を被告千秋及び司会者に伝えてくれと頼まれ、直ちに楽屋に戻つて被告千秋に伝えるとともに、そのあと舞台上手に赴き、司会は吉田に原告出演中セリが後半に下がる旨を伝えたというのであり、本件事故後篠田と吉田との間で右の篠田の伝達の事実の有無について軽い言い争いがあつたことが認められる。
しかしながら、右石川の篠田に対する依頼については、前掲甲第五号証の二、乙第一三号証及び証人石川の証言において石川が否定しているところであり、前認定のとおり原告が石川とセリ下げ時機について打合せたことが認められず、かつ後記認定のとおり原告出演直後樅山にセリ下げの合図を送つたのは石川であると認めるほかはないことに照らせば、この時点で石川を含む会館側職員が原告と池田との打合せによる花束贈呈後のセリ下げの事実を知つていたことを認めるに由ないものである上(なお、前認定の原告と池田との打合せのおおよその時間と右石川から篠田に対する依頼の時間の前後関係が明らかでなく、かなり接着していることになる点も疑問となる。)、右篠田の供述ないし供述記載に符合するかの吉田及び被告千秋の供述ないし供述記載(甲第一号証の三六、同第七号証の二、吉田証言、被告千秋供述)はかなりあいまいであること(事故後の篠田と吉田の口論も「後半」というセリ下げ時間の伝達の有無に重点があつたとは認め難い。)などに照らし、右の各証拠は、少なくとも石川が篠田に「後半」のセリ下げの連絡を依頼し篠田がその趣旨で被告千秋及び吉田に連絡したとの趣旨で採用することはできない。
5 本件セリ下げの合図と事故発生時の状況
(一) <証拠>に、前記当事者間に争いのない事実を合わせれば、次の事実が認められる。
(1) 本件会館の舞台係の豊田哲夫は、事前に会館内で定められていた役割に従い、原告の出演の直前に本件四回目のセリ下げについて奈落の安全を確認するため奈落に赴き、同所からセリ操作担当者の樅山にインターホーンによつて安全確認の旨を告げ、数分後セリが奈落まで下がつたことを見届けてその旨を樅山に連絡し、石川とともに被告千秋がセリに乗つて途中までセリを上げて待機するところを確認すべく石川の奈落への到着を待機していた。なお、豊田は、畠山みどりショー開始の前に被告千秋の付人と思われる人物を奈落に案内し、本件セリのための前記仮階段の状況を確認した同人から、後刻、仮階段はぐらぐらするから使わないこととし、奈落の底までセリを下げてほしいとの連絡を受けていた。
(2) 本件事故当日、会館事務局次長兼施設係長の谷は、当日のショーのための舞台設備等の操作に従事する会館職員の監督者としての立場で、舞台下手袖付近に部下の石川とともに立会つており、時に谷自身が各係にインターホーンを用いるなどして連絡することもあつた。
(3) 石川は、舞台下手袖から舞台を見て、原告がセンターマイクの前に立ち舞台が明るくなつたところを確認して、舞台上手のセリ操作担当者の樅山に対しインターホーンにより「そろそろ下ろそうか」といつた言葉でセリ下げの合図を送り、樅山は、原告がセンターマイクの前に立ち、舞台が明るくなつているのを現認してセリ下げのボタンを押して本件四回目のセリ下げが行われた。このころ原告は、センターマイクの前に立つて前口上を述べていたものであり、そのあと「ピンカラトリオの女の道を歌いましよう」と観客に向かつて口上を述べ、後方の楽団の指揮者に目で演奏開始の合図を送り、左手を上げて調子をとりつつ二、三歩後退したところ、既に下げられていたセリ穴に転落した。石川は、右合図のあと控室の被告千秋にセリ下げを連絡すべく舞台下手から歩き初めたところ、原告が歌を歌うことはなく従つて楽団も使わないと考えていた前記五月二八日の打合せの際の認識に反して楽団が鳴り始めたため意外の感を抱き舞台の方を見たところ、原告が転落する一瞬を目撃した。また、谷も楽団が使われたことを意外と感じ、舞台下手袖から原告が転落するのを目撃して奈落へ走つた(なお、当日原告が楽団を使つて歌を歌うことは、前記五月二八日の打合せ関係者にとつて予想外のことであるはずであり、少なくとも原告出演中は楽団のところを暗くして楽団を休ませるとの打合せに反して会館の照明係により照明がつけられたことになるが、前掲甲第三号証の二の谷の供述記載によつても、当日の会館側の実務責任者たる谷自身、右の照明や楽団の予定変更がだれによつて決められたかわからないというのであり、本件全証拠によつてもその連絡経路は不明である。)。他方、舞台上手袖では、当時原告のマネージャーの前島光義がショーと観客の反応を見ており、原告の転落を目撃した。
(4) 本件セリが下げられた段階では、前記当事者間に争いのない事実のとおり舞台は明るくなつていたところ、検証の結果及び原告本人の供述によれば、右の状況でセンターマイクの前に立ち左右の客席を見渡した際、本件セリについて特別の注意を払わない限り本件セリが下がつていることは目に入らないし、セリ下げに伴う音は、特に注意しなければそれと判断できない程度の音であることが認められる。
(二) ところで、原告は、石川と本件セリ下げの時機について打合せたとする前記主張に合わせて、樅山にセリ下げの合図を送つたのは石川であるよりも谷である可能性が強いと主張する。しかし、前掲証拠によれば、谷は刑事事件の公判以来一貫してこれを否定し、石川は刑事事件の公判以来一貫して自ら合図したことを認めており、合図を受けた樅山は、警察の捜査段階では、合図を受けた際は谷か石川のいずれであるかはつきりしなかつたと述べたが、その後石川から自分が合図をした旨を聞かされ、石川であるとわかつた旨述べているのであり、これら三者の供述ないし供述記載に格別の不自然さは窺えないのである。そして、前認定のとおり原告と石川との打合せの事実及び石川が篠田に対し原告出演中の後半にセリが下がる旨を伝えた事実はこれを証拠上認めることはできないことを合わせ考えれば、谷が(原告との打合せによりセリ下げ時機が五月二八日の打合せ結果から変更されたことを知らないまま)本件セリ下げの合図を送つたとする原告の主張は、可能性としての推測の域を出ず、これを認めるべき証拠に欠けるといわざるを得ず、他に右(一)の認定の妨げとなる証拠はない。
第三 被告らの責任について(請求原因3)
一 本件セリの危険性
1 本件セリの位置、構造等は前記のとおり当事者間に争いがない。そして、検証の結果を合わせれば、センターマイクの後方わずか一メートル余(センターマイクとセリの端までの距離は一・七メートルであるが、センターマイクの前に立つ者とセリの間隔は、より短かくなることは明らかである。)の位置にある本件セリ穴を空けた状態でセンターマイクの前に立ち観客を前に演技することが極めて危険であることは明らかである。五月二八日の打合せ関係者には当時原告の出し物の内容が明確に判つておらず、会館側では動きのないものであろうとの見当をつけていたことは前認定のとおりであるが、本件セリの位置からすれば、演技者のわずかの動きでセリ穴に接近する危険があるといわなければならないから、演技者の演技内容にかかわらず、セリ穴を空けた状態でセンターマイクの前で演技することの危険性は否定すべくもない。特に本件では、原告出演の後方でセリを下げることになるから、セリの後方又は脇でセリの状況を視認しながら演技する場合よりも一層その危険が大きい上、先に認定の事実及び<証拠>によれば、後の出演者の出演のためのセリ下げは、セリを下げ、上げするに要する時間(本件では二、三分程度)を考慮して前の出演者の演技の終るころに下げるのが常識的かつ妥当な措置であると認められるから、五月二八日の打合せにおいて、セリ下げのきつかけを定める必要があつたとはいえ、被告千秋のためにも不必要で、原告にとつて危険な時間帯を増大させるのみの結果となる原告出演直後のセリ下げを一応にせよ決めたことは、それ自体不適切な選択であつたといわざるを得ない(むしろ、原告出演前からあらかじめセリを下げておき、舞台登場直前に指示して原告にセリ穴を確認させた方が危険が少なかつたと思われるほどである。)
そして、右のセリ下げの時機、方法がそれ自体危険であることは、<証拠>において、会館側及び被告千秋、池田らが一致して認めているところであり、右証拠のうち会館側関係者の証言及び供述記載からも認められるように、原告出演直後の原告後方の本件セリ下げの危険を解消し、その措置を正当化するためには、原告に対する明確な伝達、確認が必須の条件であり、かつ、原告への伝達、確認の結果、予定のセリ下げ時機に変更があるか無いかを、関係者、特に現実にセリを操作する会館側が了知することが必須の条件となるといわなければならない。
2 ところで、<証拠>によれば、舞台上のセリは、その使用に伴い危険が生ずることが避けられないから、その操作に万全の注意を払うべきはもとより、舞台の進行に関与する舞台監督、進行係、出演者、セリ操作担当者間で詳細な打合せをし、打合せの結果にそごが生じないよう台本や進行表により各関係者への明確な指示を徹底することが必要であり、施設によつては舞台脇に係員を配置して出演者その他の者に注意を喚起するなどの措置をとつていることが認められる。そして、<証拠>によれば、センターマイクの中心からこれに最も近いセリとの距離が本件と同程度か、むしろより短い舞台構造となつている劇場や会館の例も存在することが認められる。これらの事実を総合すれば、セリ使用に伴う危険は、使用上の安全配慮の措置を尽くして排除すべきであり、本件セリについても同様であるといわなければならない。
二 本件会館の使用形態
1 前記争いのない事実及び前記認定事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 谷は、本件事故当時被告市の職員で、本件会館の事務局次長兼施設係長として、本件セリの管理、操作の責任者の地位にあつた。
(二) 被告市は、本件会館を貸館として、一定の場合に、利用者の便宜に供するのであるが、その際、会館としては、専門的技術スタッフを同行する少数の使用者の例を除いては、通常、会館の職員が、使用者との打合せに基づき、舞台設備や音響、照明等の操作を担当していた。
(三) ところで、刈谷市民会館条例施行規則九条は、「使用者は、会館の使用について、事前に職員と使用方法等その他必要な事項を打合せしなければならない。」と規定している。ここにいう使用者とは、本来使用許可を得た者を指し、会館の使用時期、人員、目的等、一般的概括的事項については使用許可を得た者と打合せをするのであり、本件においても三栄組との間で右の打合せが行われたことは前記当事者間に争いのない事実のとおりである。そして、舞台設備等の使用を含めた細部の打合せについては、催物等の実施が右の使用者から興行主や主演団体に委ねられる関係上、事実上これら興行主や出演団体等を右施行規則九条の使用者とみなして(又はその使用者から委任されたものと取扱つて)、これらの者と会館職員(被告市の事務分掌上、右使用者との打合せは、会館の施設係の事務と定められている。)とが打合せをする取扱いが行われており、本件五月二八日の被告千秋らとの打合せは、右施行規則九条に根拠を持つ性質のものと解される(なお、前記争いのない事実のとおり、被告子安の加藤が昭和四八年三月下旬ころ会館の石川に対して出演者氏名を書いたメモを手渡しているが、これは三栄組と会館側の打合せを補充する程度のもので、独立の打合せと評価することはできない。)
(四) 本件会館と同じ公の施設である名古屋市民会館では、その運営は、名古屋市民会館条例、同条例施行細則、及び内部的に周到な留意事項を定めた舞台機構の取扱い要綱に従つて行なわれているが、そこでは、使用者は使用日の一〇日前までに舞台課と打合せをしなければならず、その際、会館は舞台進行の総括責任者が誰であるかを確認し、その者と詳しい打合せをし、その結果に基づいて、詳細な進行表を作成して、使用当日は、進行責任者から個々具体的に指示をもらうなどして職員が操作するという扱いがされている。
また、同じく愛知県文化会館においては、使用申込みの際パンフレットを交付して、責任者が改めて事前にプログラム、進行表を持参して会館側と打合わせることを求め、その後舞台監督者を確認し、その者と打合せをし、特にセリを使用する場合は詳細な打合せをして、会館側で様式を定めた「舞台打合明細表」(舞台、照明、音響等の各部門別に欄が設けられ、舞台責任者の記入欄もあるもの。)及び進行表を作成し、使用当日は右進行表に基づくほか舞台監督者の指示を受けて会館職員が舞台設備等を操作し、更にセリ使用については会館の係員が舞台脇に立つて注意をする扱いがされている。
2 ところで、前掲証拠によれば、右施行規則九条にいう打合せ義務は、第一次的には使用者側に課せられたものと認められるが、他方、前認定の本件セリの使用に伴つて生ずる危険性、舞台設備を会館職員が操作する場合は基本的には右打合せに基づいて操作されるという意味での打合せの重要性、他の会館における使用者側との打合せに見られる配慮、及び五月二八日の打合せの経緯等に鑑みるときは、本件会館を設置し常時管理する会館(被告市)としては、使用者側との打合せに応ずるに当たり、単に使用者側の希望を操作に関する「指示」として機械的に聴取し、これに盲従するのではなく、使用者側の希望を尊重しつつ、舞台設備等の構造、機能面の制約はもとより使用に伴つて生ずることがある危険を排除するため万全の配慮をなし、使用方法を変更させ又は安全確保のために必要な条件を付し又は適当な措置をとらせることが条理上要求されるというべきである。被告市の刈谷市民会館条例(丙第四号証)六条二項(市長は、、前項の規定により使用を許可する場合において管理上必要な条件を付することができる。)七条三号(管理上支障があると認めるときの使用不許可)、同条例施行規則(丙第三号証)一二条七号(使用者又は入場者が管理運営上必要な指示に反することをしないことの導守義務)、及び刈谷市民会館使用許可書の様式(乙第二七号証の二)中の「会館の使用については係員の指示に従つてください。」等の使用条件の記載は、いずれも右の理を前提とするものと解せられる。
三 本件ショーの進行責任
1 一般の場合
<証拠>によれば、歌謡ショー等の興行が行われる場合、ショーの構成、進行、セリ等の使用時機の決定、関係者への指揮、伝達等について責任をもつべき舞台監督、進行係等の進行担当者が必要となるところ、興行界では、興行主がショーの構成、進行、各出演者等の全体を特定のプロダクションに委ねて契約するいわゆるパッケージ契約(ショー)と、各出演者と個々に出演契約を結んで行ういわゆる単一契約(裸ショー)との概括的な形態上の区別があり、右の進行担当者は、パッケージ契約にあつては自ずから決るが、単一契約の場合は、ショーの規模により、専門の担当者が置かれ、舞台装置等の操作担当者までプロダクション側で同行することもあるが、小規模の場合は必ずしも特別の進行責任者が置かれないことがあり、その場合は、中心となる有力タレントの意向を受けてそのタレント所属のプロダクションのマネージャーがショー全体の進行担当者の役割を担い、舞台装置等の操作はその進行担当者の指示の下に会館(施設)側が行うことが多いこと、その場合、単一契約でショーに組み込まれた他のタレントの進行については相互に打合せの上で、右の進行担当者において進行責任を持つこと、パッケージ契約の場合は興行主としてショーの進行又は関係者間の連絡、統括に関与することは少ないが、単一契約の場合は、興行主がそれらに関与することがあること、しかし、以上はあくまで興行界の基本的、概括的な実態であるに過ぎず、必ずしもすべてのショーの進行責任について当てはまるともいえないこと、が認められる。
2 本件の場合
(一) 前記争いのない事実及び前記認定事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
すなわち、本件六月三日の慰安会の第二部、原告及び椎野寿脩の出演を挾んだ「畠山みどりショー」についても、第一部のショーについても、そのショー当日の舞台進行責任者は被告子安、同グリーンアート及び同千秋、同市並びに原告相互間で明確に確認されることなく、従つてまた当日の舞台進行上の関係者相互間の指揮命令系統、連絡経路が必ずしも明確でないまま進行した。各関係者が右舞台進行等に関与した内容は次のとおりである。
(1) 被告子安
(ア) 三栄組との契約に基づき第一部、第二部のショーの大枠と出演者を決め、第二部については被告千秋を中心に原告及び椎野を組み込む構成を決め、各出演者又はその所属プロダクションと個別に出演契約を結んだ。また、前記のとおり、会館の石川に出演者名簿を手渡した。
(イ) 原告については、当初、原告の出演のほか「畠山みどりショー」全体の司会を依頼していたが、前記五月二八日の被告千秋からの電話連絡の際、被告千秋側で司会者を用意するとの申出があり、これを承諾し、原告側にその変更を伝えた。
(ウ) 第一部については加藤が出演者の出演順、時間の割り振りを決め、ショー当日は加藤の指示により被告子安の木村がどん帳上げの合図を会館職員に対してなし、各出演者の呼出し等の連絡を担当した。
(エ) 加藤は、被告千秋、原告及び椎野のそれぞれの出し物は各出演者側に一任し、原告及び椎野の出演を「畠山みどりショー」のどこに挾むかも被告千秋側に一任した。
(オ) 五月二八日、被告千秋からの電話連絡に対し、加藤は、原告出演時間を一回につき一五分程度とすることに同意するとともに、被告千秋の都合のよい部分で原告を出演させることを依頼し、かつ、被告千秋のためにセリを使用することにつき同被告に承諾を与えた。
(カ) ショー当日、加藤は、被告千秋一行と会館側及び楽団とによるリハーサルの開始に当たつて興行主として挨拶をし、関係者を引合せたほか、三栄組の相談を受けて原告にも花束贈呈をするよう助言し、この旨を原告、会館側及び司会の吉田に伝えた。また原告出演部分についても吉田に司会を担当するよう依頼し、原告には、その持時間の中で東京ぼん太を舞台に引出すよう依頼し、東京ぼん太が出ることになるかも知れない旨を会館の石川に伝えた。
(キ) 被告子安の木村は、原告に出番の連絡をした際、会館の石川に依頼されたところにより、原告出演中にセリ下げがある旨を伝えた。また、当日木村は、各出演者の到着の確認、控室の割当て、食事、茶菓の割当ての手配をした。
(2) 被告千秋及び同グリーンアート
(ア) 五月二八日に被告千秋は、自作の進行表を用意して会館に赴き、「畠山みどりショー」の進行細部にわたつて会館職員と打合せをした。その結果、セリ使用の一部について会館側の意見により調整、修正されたほかは、ほぼ被告千秋の希望により進行表が確定された。
(イ) 右打合せ当日、被告加藤に架電して原告出演時間の若干の短縮を承諾させて原告と椎野を「畠山みどりショー」の一部に組み入れることを承諾し、会館との打合せにおいてその出番を決めた。また、加藤に対し、司会者は被告千秋側で用意する旨を伝えた。
(ウ) 右打合せの際、池田をマネージャーとして紹介し、四回目の本件セリ使用についての会館側の危険であるとの指摘に対し、原告はプロだから大丈夫であるとし、池田に原告に対する連絡を指示した。
(エ) 六月三日当日のリハーサルは、被告千秋の希望、指図により進行した。
(オ) 被告千秋(被告グリーンアート)のマネージャーである池田は、六月三日当日、会館の石川及び樅山のセリ使用に関する確認に応対して五月二八日の打合せ通りでよい旨を伝え、その頃椎野に対しその出演内容(時間、曲数等)を告げ、セリについて注意した。また、原告にその出演中のセリ下げのことを連絡し、原告とセリ下げ時機について打合せをしてその希望を承諾した。また、原告側に「畠山みどりショー」全体の進行表を渡した。
(カ) 更に、池田は、六月三日の「畠山みどりショー」の開幕に当たり会館職員にどん帳上げのきつかけの合図をし、その後調光室において会館職員に照明に関する具体的な注文を付けることがあつた。
(3) 被告市
(ア) 六月三日のショーのため本件会館の使用を許可し、舞台装置、照明、音響等の操作を会館において担当することを引受け、被告千秋側と打合せをした。
(イ) 特に四回のセリ使用については危険性の観点から意見を述べ、一部被告千秋側の希望を修正させた。そして被告千秋側から交付された進行表と右打合せの結果に基づき、会館職員のための進行表を作成した。なお、この進行表を六月三日当日石川が池田に渡そうとしたが、池田は不要であるとして受取らなかつた。
(ウ) 六月三日当日、石川及び樅山は谷の指示を受けて池田にセリ使用の件を確認し、その結果を谷に報告した。池田に右の確認をした際、石川は椎野に対しセリ使用について注意をした。
(エ) 当日谷及び石川は舞台下手袖にあつてインカムを付け、前記進行表に基づき、舞台進行状況に合わせて会館の各操作担当者に合図を送つた。
(オ) 四回目の本件セリ使用については会館の豊田が奈落の安全を確認してセリ操作担当者の樅山に連絡し、また石川は、本件セリ下げのあと被告千秋にセリ下げを連絡して奈落まで同被告を案内することになつていた。
(カ) 石川は、原告の出演前に被告子安の木村に対し原告にセリ下げの注意をするよう依頼した。また樅山及び加藤正好は、原告に対し、その出演直前、セリ下げについて注意を促がした。
(二) ところで、各被告らは「畠山みどりショー」における関係者へのセリ使用の連絡義務を含む進行責任を争つており、前掲(一)の各証拠中、被告千秋、池田及び吉田は、進行責任者は会館側又は被告子安側であると考えていた旨、被告子安の加藤及び木村は、被告千秋側及び会館側に任せていた旨、また被告市の関係者は、会館側は使用者の指示に従つて操作するまでであり、進行責任は被告千秋側(池田)にあると考えていた旨、それぞれ供述しているが、いずれもそのように考えていたというにとどまり、進行責任者ないし連絡系統を相互に確認してはいないのであり、この点は、原告側についても同様である(前掲乙第七号証の前島光義の供述記載、前掲乙第三九号証の原告の供述記載及び原告本人の供述)。
そして、右(一)の認定事実と前記1の認定事実に照らせば、被告千秋のマネージャーである池田が最も進行責任者の立場に近いと認められるが、被告子安の加藤も本件ショーの進行上判断を伴う一定の行動をとつており、また、被告市の関係者も単に進行表に基づく機械的な操作にとどまらず、その操作の時機等について舞台の状況等をにらみつつ一定の判断のもとに進行に関する行動をとつているのであつて、ひつきよう、本件「畠山みどりショー」については、その進行責任、指揮命令ないし連絡系統が不明確なまま、相互に補完、依存しつつ進行責任を分担していたというほかはない。
(三) 本件事故は、五月二八日の打合せによるセリ下げ時期と、六月三日当日の原告の希望によるセリ下げ時機とのくい違いがセリ操作を担当した会館側に伝わらなかつたために生じたことが前認定から明らかであるが、右の指揮命令ないし連絡系統の不確実さは、次の事実からも窺うことができる。すなわち、(1)前認定のとおり、原告出演中楽団の箇所の照明を落して楽団を休ませるという打合せであつたにもかかわらず、六月三日当日原告が楽団を利用することとなり、会館の照明担当者により照明がつけられるという変更があつたが、この変更の連絡経路は会館の谷にも不明であつたこと。(2)椎野出演時のセリ下げについては前認定のとおり五月二八日及び六月三日当日において、原告の場合と比較にならぬほど周到な危険回避の方法と連絡が確保されたが、セリが上がり切らぬうちに椎野が出演することを避けるとの打合せであつたにもかかわらず、<証拠>によれば、むしろ椎野出演後にセリが下げられ、二曲目を歌うころにセリが上がつたと認められること。(3)その他のセリ操作についても、<証拠>によれば、必ずしも打合せ通りにセリ操作が行われなかつたことが窺えること。
四 被告市の責任
以上の認定事実を前提として、本件四回目のセリ使用について、被告市にいかなる注意義務があるかを検討する。
1(一) 本件セリの使用は、舞台床面に四・七メートルの落差のある欠落を生じさせるのであるから、照明や音響装置の操作と異なり、その使用によつて直接出演者等の生命身体に重大な危害を及ぼすおそれのある危険性の高い設備であるところ、被告市(会館)は、本件会館を設置し常時管理する者としてその構造上の危険を十分把握できる立場にあるのみならず、前記刈谷市民会館条例及び同条例施行規則により使用者側に会館側との事前の打合せ義務を課し、打合せの機会を確保していることにより、当該使用者のセリの使用方法等の必要事項を把握しその使用に伴う危険性を十分了知できる立場にある。他方、本件会館のセリをたまたま使用するに過ぎない一般の使用者は、セリを含む会館の設備の構造及び使用に不慣れな上進行責任者を定めていないなど責任態勢もあいまいで、安全確保のための十分な能力を備えていないことが往々にしてあり、特に複数の出演者が個別に参加してくるいわゆる単一契約(裸ショー)の場合には、使用者相互の意思の疎通を欠く虞れがあり、本件はまさにそのような場合であるから、安全確保の面では、会館側が使用方法及び各使用者間の関係にも配慮して積極的な役割を果たすことが社会的に期待されているといわなければならない。
(二) 特に、本件のように、本件セリの操作を会館側が引受けた場合は、その使用に伴う危険を自ら直接認識し対処できる立場にあり、単なる物的設備の貸与に過ぎない場合と異なり、その使用上の安全に配慮すべきことが条理上要請される。
(三) セリの使用は、前記のとおり元来危険性の高いものである上、本件では、原告が出演中の最初から一五分近くにわたり、演技する原告の後方直近の本件セリを下げるという極めて危険かつ不相当な使用方法を採ることを結局容認したのであるから、その危険性の程度及び事故が発生した場合の結果の重大性に鑑みても、他の関係者の安全配慮と並んで、会館側においても、その後万全の配慮をなすべきである
(四) 本件において、被告市(会館側)がなすべき安全確保の具体的方法としては、(1)五月二八日の打合せにおいて、より安全な時機にセリ下げ時機を求めるよう被告千秋側と意見調整をし、打合せ当日決定できないのであれば、後日原告を含めた打合せの上で、より安全な時機を決め、これを会館側が了知できるよう、被告千秋側又は被告子安側に指示すべきであつたこと、(2)右の方法を採らなかつた以上、かつまた五月二八日の打合せの結果が、四回目のセリ下げ時機に関する限り前記のとおり不確実な要素を残していた以上、遅くとも、原告出演までの間に、右セリ下げ時機についての会館側を含めた関係者の認識と原告のそれとにそごがないかどうか(原告に確実に伝達されたか)を第三者を通じ、又は原告に直接連絡して確認の上、セリ下げを実行すべきであつたことである。
2 そこで、本件四回目のセリ使用について具体的に被告市に右の義務違反があつたかどうかを検討する。
(一) 五月二八日の打合せにおける四回目のセリ下げ時機の一応の決定が極めて危険かつ不必要、不適切な時機の選択であり、被告市(会館側)としては被告千秋側との打合せにおいてこのような時機の選択を避けるべき義務があるのに、被告千秋側の、原告は「プロだから大丈夫」である旨、及び原告へのセリ使用についての連絡は被告千秋側でするとの言により結局右のセリ下げ時機を容認したことは前認定のとおりであるから、既にこの点において、右打合せに出席し本件セリの管理、操作の責任者として右の一応の決定を容認した被告市の職員は、注意義務を尽くしたとはいえないというべきである。
なるほど会館側は、右打合せにおいて本件四回目のセリ使用についての危険を指摘したこと前認定のとおりであり、前記第二の一の1所掲の被告市関係者の証言ないし供述記載には、被告千秋の右の言によりそれ以上セリ使用に反対することができなかつた旨、あるいは右の言により危険は排除されると考えた旨、あるいは会館は貸館であるからセリ使用についても使用者の指示に基づいて操作するほかはない旨の被告市の主張に副つた供述部分があるが、被告市に求められる前記注意義務の内容と、前記第二の一の1所掲の各証拠によれば、右のセリ下げ時機の決定については、自分の出番に使用できるようセリ下げが行われさえすれば足りる被告千秋側が、セリ操作を担当する側としてセリ下げのきつかけが定められる必要のある会館側にそのきつかけの選択を求められるまま、原告の安全を慮外に置いて、安易に、セリ下げのきつかけとしては一応明確な右の時機を持ち出し、会館側がこれを受入れたという経緯が窺えることに照らし、右の証言等によつては、この段階で被告市が免責されるとはいえないし、また、前認定のとおり、単に右打合せの席上、被告千秋から池田が原告へのセリ下げ時機の伝達を指示され同人がこれを了承したとしても、このことをもつて、会館の負担する独自の注意義務が履行されたと評価することはできない。
(二) 六月三日のショー当日、谷の指示を受けた会館の石川と樅山が池田に対面して当日のセリ操作の時機を確認し、池田から五月二八日の打合せ通りとする旨の確認を得たこと、その際、石川は池田に対し原告への連絡方を依頼したこと、原告の出演直前に会館の樅山が事前の石川との打合せに従い、原告に対しその出演中のセリ下げを注意し、同じころ会館の加藤正好も同様の注意をしたこと、更に石川は、被告子安の木村に対し原告出演中のセリ下げの連絡をするよう依頼したことは、いずれも前認定のとおりであり、被告市としては、当日本件四回目のセリ下げに関する原告への安全配慮について一応の努力はしたことが認められる。
しかしながら、石川らが池田に確認した段階では原告は本件会館に到着しておらず、当日までに原告に対する連絡がついていないことは池田とのやりとりから石川らが承知していたことは前認定のとおりであり、その後池田から原告に連絡がなされたかどうかの結果の確認をしていないことは、前掲石川証言等によつて明らかであるから、原告に対する伝達の確保とその結果の確認の必要という前示の観点からは、右池田に対する確認と、前認定の程度の原告への伝達の依頼だけでは五月二八日の打合せ終了段階とほとんど変化がなく、会館としての注意義務を尽くしたとはいえない。
また、樅山及び加藤正好の原告に対する注意も、本件のセリ下げ時機の特殊性を意識した明確な注意であつたとは認められないことも前認定のとおりであるから、右の程度の注意をもつて、義務が尽くされたとみることもできない。
原告到着後その出演までの間の会館関係者のあわただしさは前掲乙第四〇号証及び証人石川の証言により十分窺えるところであるが、その事情は、被告千秋のマネージャーとして前認定のような役割を担っていた池田ら被告千秋側にとつても同様であるから、当日の状況において池田から原告への伝達の結果の確認を得ることが困難であると考えられたならば、会館の石川又は樅山が自ら原告側に直接確認すべきであつたのであり、そのことは、椎野に対する五月二八日及び六月三日の被告千秋、石川及び池田の前記周到な配慮と比較しても、会館側に大きな困難を強いるものとは考えられない。結局、会館職員らは、本件セリ下げの危険の排除について一応の努力はしたが、本件セリ下げが原告に及ぼす危険の程度と原告への伝達の確保、その結果の確認という最も重要な点についての配慮と認識が足りなかつたといわざるを得ない(なお、石川、谷ら会館職員の証言及び供述記載中には、当日の舞台進行責任者は池田であると考えていたとし、池田にセリ下げ時機の確認をし、原告への伝達を依頼すれば足りる旨、また芸能人に対し会館職員が直接セリ下げ時機を確認することは困難でありかつあり得ない旨述べる部分があり、<証拠>にも打合せの結果を出演者に連絡通知するのは舞台監督、進行責任者の仕事であるとする部分があるが、会館側が「畠山みどりショー」全体の進行責任者を明確に確認しないまま、五月二八日及び六月三日池田の行動等からこれを進行責任者と判断したのはいささか軽率であり、その他前認定の具体的状況の下では、右の各証拠によつても被告市の免責事由ありと認めるには足りない。)
3 以上のとおり、谷は、本件セリ使用についての注意義務を尽くしておらず、この注意義務違反が本件事故の発生に寄与したものと認められるので、被告市は、谷の使用者として、本件事故につき、民法七一五条による不法行為責任を負う。
五 被告千秋の責任
1 前記当事者間に争いのない事実及び前記認定事実によれば、被告千秋は、五月二八日の打合せにおいて主導的立場に立ち、会館職員の意見を押さえて、原告の意向を確かめないまま、自らの出演のために原告出演中の本件セリ使用を一応にせよ決めたのであり、特に、会館側の指摘により、原告出演中の早い段階で出演中の原告の背後に接近している本件セリ下げを行うことの危険性は十分認識していたものと認められる(被告千秋本人は、会館側から本件セリ使用の危険性を指摘されたことはないと供述しているが、前記第二の一の認定に照らし、これは信用できない。)。そして、右打合せにおけるセリ下げの時機の選択が極めて危険、かつ不必要不適切で、原告の安全に対する配慮を欠くものであつたこと、更に右のセリ下げ時機の一応の決定が、被告千秋の必然的な必要性によつたというよりも、セリ下げのきつかけをつかんでおきたいという被告市側の必要から出発したという前認定の経緯があるにせよ、被告千秋の、原告はプロだから大丈夫である旨の発言とその場での池田に対する原告への連絡の指示が右決定の要因となつたことは前認定のとおりである。
2 そうだとすれば、被告千秋は、自らセリを使用する者として、その使用により危険にさらされることになつた原告に対する安全に注意すべき義務があるところ、<証拠>によれば、池田は、五月二八日の右打合せ当時、被告グリーンアートに雇い入れられて一か月足らずでマネージャーとしては見習期間中であり、さほど舞台関係の経験が多くなかつたことが認められるのであるから、単に池田に対し原告への連絡を指示するだけでなく、原告の出演について契約をし「畠山みどりショー」の中に原告を組み入れることを被告千秋側に要請する立場にあつた被告子安側に対し、原告の出演中にセリを下げる必要がある旨を明確に告げた上で原告との打合せと、その結果をセリ繰作を担当する会館側へ連絡して会館側と打合わせることを求め、あるいは、少なくとも六月三日当日、池田に対して、原告との連絡の有無、及び原告との連絡の結果五月二八日の打合せに変更が生じたのであればそれを会館側に伝えたかどうかを確認するか、そうでなければ自ら又は被告グリーンアートの他の従業員らをして原告にその確認をし、原告の安全を守るべき注意義務があつたというべきである。
3 しかるに、被告千秋が五月二八日被告子安の加藤に電話した際、原告出演中のセリ使用を告げたとか、原告へのセリ使用の連絡を依頼したとかの事実が認められないことは前認定のとおりである。そして、原告の出演が被告子安との独立の契約によるものであるからとて、単に加藤から「畠山みどりショー」における被告千秋の出演のために本件セリを使うことについて加藤の了解を得たとしても、これをもつて右の義務を尽くしたとはいえない。
また、被告千秋は、右打合せの際会館の職員に原告への連絡を依頼した旨を供述し、証人池田信雄も同旨の証言をしているが、いずれもあいまいであり、前掲第二の一の会館職員らの証言及び供述記載に照らし、いずれも採用できない。
(なお、被告千秋は、石川に依頼された篠田からセリが後半に下がる旨の連絡を受けて安心したと供述し、これに副う篠田及び吉田の供述記載ないし証言があるが、これらが「後半」の趣旨では採用できないことは、前記第二の二の4で判示したとおりである。)
そして、他に、被告千秋が池田らをして間接に、または自ら、原告へのセリ下げ時機の連絡の確認または打合せをしたことを認めるに足る証拠はない。
4 よつて、被告千秋は、前記注意義務を尽くしたとはいえず、このことが他の被告らの行為と相まつて本件事故の一因となつたと認められるから、民法七〇九条により、本件事故に対する不法行為責任を負うものである。
六 被告グリーンアートの責任
1(一) 前記争いのない事実及び前記認定事実によれば、被告グリーンアートの従業員である池田は、昭和四八年五月二八日、被告千秋らとともに本件会館に赴き、被告市職員との「畠山みどりショー」の進行についての打合せの席に、被告千秋のマネージャーとして参加した。そして、四回目のセリ使用についての話合いの中で、原告がセンターマイクを使用中に本件セリを下降させることは危険であることを会館から指摘された結果として、原告に対する本件セリの使用の連絡、注意を被告千秋から指示されてこれを了承した。
これによれば、池田は被告千秋がセリ使用者として負うべき原告に対する注意義務の一つとしての原告に対する本件セリ使用の連絡をし注意するべき義務を引受けたものである。
(二) ところで、前認定のように、池田は、六月三日のショー当日、原告に対してセリの使用を連絡した際、原告から、セリ下げは、三曲終つて花束贈呈を受けた後「月の砂漠」を歌うのでその時にしてほしい旨、五月二八日の打合せ内容とは異なる申入れを受け、これを承諾したのであるから、右の被告千秋の指示を引受けた経緯からすれば、そのセリ下げ時機の変更を、五月二八日の打合せの相手方でありセリ操作を担当する会館職員に伝達して右内容を周知徹底させる義務まで負うことは条理上当然であり、これを怠れば原告と会館職員との認識、信頼にそごが生じ極めて危険な事態となることは容易に知り得たというべきである。
(三) しかるに、池田は、右打合せ内容を本件セリ操作を担当する市職員に連絡して周知徹底させることをせずに放置したため、本件セリが原告の予期していた時機と異なる早い時機に下げられていた結果、本件事故が発生したものである。
(四) また、池田が、被告千秋の指示に従い原告に対して本件セリ下げ及びその時機を明確に伝え、もし原告からその時機の変更の申出があつた場合には直ちにこれをセリ操作の担当者に連絡する等、転落事故発生を防止するため適切な処理をとるべき注意義務があつたのにその注意義務を尽くさなかつたとして重過失傷害罪により控訴審で罰金三万円に処せられ、上告が棄却されて右判決が確定したことは、<証拠>により明らかである。
(五) 池田の右不作為は、被告グリーンアートの事業の遂行に関連してなされたものであり、不法行為を構成するから、被告グリーンアートは池田の使用者として民法七一五条による使用者責任を負う。
2 また被告千秋が被告グリーンアートの共同代表取締役であつたことは当事者間に争いがなく、被告千秋の前記二の不法行為は、同被告が被告グリーンアートの共同代表取締役としてその職務を行うにつきなしたものと認められるから、被告グリーンアートは民法四四条により本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。
七 被告子安の責任
1 被告子安が、子安興行社の名で興行の企画、芸能人斡旋等の業を営む者であり、本件慰安会を三栄組から請負い、その第二部を「畠山みどりショー」として被告千秋を主演タレントとし、その間に原告及び椎野の出演を組み込んだショーを企画、構成したこと、被告千秋の出演について被告グリーンアートと、原告の出演についてオフィスEYと、それぞれ別個に出演契約を結んだこと、原告の出演に関する契約においては、出演料のほか原告の食事代、交通費も被告子安が負担し、その手配をするいわゆるアゴ、アシ付きの契約であつたことは、いずれも当事者間に争いがない。
2(一) 右事実と、前記認定事実及び前記当事者間に争いがない事実、並びに<証拠>によれば、被告子安との被告千秋及び原告の出演に関する契約においては、被告子安の従業員加藤は、「畠山みどりショー」の時間の割り振り、同ショーに一五分間(二回)の原告の出演と椎野の出演を挟むなどショーの構成を決めたが、それぞれの出演内容については従前の被告千秋側及び原告側との出演契約の前例に従い、一切を被告千秋側又は原告側に一任していたこと、そして、本件のように、一つのショーを構成する複数の出演者側と個別に出演契約を結んだ場合、興行界では、契約をした興行主が、出演のための交通費、食事代の負担のほか、その送迎、交通手段、食事等の手配に至る一切の世話をし、出演者が出演のために要する出発から帰省までの時間の一切を興行主が「買取る」という理解で出演契約が履行されていることが認められる。
ところで、本件のような舞台におけるショー出演のための出演契約の中核をなすのは、出演者の「芸」の提供と出演に対する対価の支払いであることはもちろんであるが、そこで提供される「芸」は、代替性のある単なる労務の提供ではなく、まさに個性と経験を備えた当該芸能人その人の安全を離れて存在し得ないかけがえのないものであり、舞台上の演技には舞台装置あるいは観客との関係から種々の危険を伴うことがあることに鑑みれば、このような出演契約においては、興業主側が右のように出演(芸の提供)を中核とする時間を「買取る」反面において、興行主側は、その「芸」を担う出演者の生命、身体の安全に配慮すべきことが出演契約に附随する信義則上の義務として、契約の当然の内容になつているものと解すべきである。前掲甲第一号証の二七には、興業界のいわば常識としてこの理を認めさせる記載があり、また本件原告の出演契約についても、被告子安の加藤及び木村の証言ないし供述記載の一部(甲第一号証の二五、乙第一〇号証)には、各出演者の出演内容と舞台の進行に関する責任は別として、右のような安全配慮に関する義務の存在を窺わせる部分があり、右の認定、判断に反する証拠はない。
(二) そして、前認定の「畠山みどりショー」の企画、構成の経緯と、右ショーに出演する所属の異なる三人の出演者側と被告子安との出演契約が個別に結ばれていることに鑑みれば、被告子安が各出演者の出演内容そのものにつき関与しないとしても、ショーの円滑かつ安全な進行を確保するためには、被告千秋、原告及び椎野の二者又は三者間及びこれらと舞台装置等の操作を担当する被告市側、更には興業主たる被告子安を含めて何らかの打合せ、調整が必要となる事態が生ずることは容易に予想できるところであり、その場合の相互の連絡調整ないし統括(ここにいうところは、ショー当日の舞台進行責任とは必ずしも一致しない。)は、それを他に委任する等の特段の事情のない限り、その程度、方法は別として、最終的には、原告らを組込む形でショーを企画構成し、各出演契約を結んだ興行主たる被告子安が行うべきものであつて、被告子安としては、各出演契約の附随義務として、この連絡調整ないし統括を行うことにより、関係者間の連絡等の不徹底による出演者のショーの進行上及び安全上の不測の事故を防止すべき義務があるといわなければならない。証人加藤勝司郎は、本件のような形態のショーでも、興業主(プロモーター)は何ら舞台進行に関与せず、出演者と会館相互間の連絡調整の機会を設けずにきているのが従前からの慣行であるから、被告子安側は連絡義務を負わない旨述べているが、従前、興業主たる被告子安ないしその従業員が、安易にもこのような点に意を払わないまま無事舞台が進行してきたとしても、それは偶然の結果というべきであつて、右加藤証言は、被告子安の右連絡調整ないし統括の義務を認める妨げとならず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
(三) 右の点につき、被告子安は、「畠山みどりショー」の進行は、原告及び椎野出演部分を含め、またセリの使用時機等も含めてその一切を被告グリーンアート及び千秋に一任し、同被告らはこれを引受けたと主張する。
なるほど、被告子安の加藤が、被告千秋及び原告の出演内容については各出演者側に一任したことは前認定のとおりであり、また、<証拠>によれば、加藤及び木村は、「畠山みどりショー」の進行に関することは一切被告千秋側に任せたつもりであつたこと、五月二八日の被告千秋と会館側の打合せについて被告子安側は事前に知らされていなかつたこと(この点につき被告千秋本人の反対の趣旨の供述があるが、採用できない。)、被告子安側には、被告千秋側からも被告市(会館)側からも本件ショーの進行表は渡されていなかつたこと等、被告子安の右主張に副うかの部分が見られる。
しかし、他方、前認定のとおり、五月二八日に加藤が被告千秋に対し、原告及び椎野の出演の関係で伝えたのは、原告らの出演を「畠山みどりショー」の中に一定時間挟むことと、被告千秋の都合のよい箇所で時間を空けるべきことだけであり、他に、被告千秋なり被告グリーンアートなりに対し、右のような連絡調整ないし統括の役割を含めて全進行を任せる旨を明示的、具体的に伝えた形跡は、本件全立証によつても窺えず、かえつて、木村自身、右甲第一号証の二五において、「畠山みどりショーはグリーンアートから一時間三〇分の契約でその間の出演進行等までショーを買つた形になるのですから全部まかせ切りでもよいのですが、そのショーに穴があいたりしてもいかんので、出演者の到着や出番等に気を付けていた」旨、本件ショーの進行に関し、少なくとも当日被告子安側が果たすべき役割がなお存在したことを述べているのである。その他、加藤も、前認定のとおり(前記第三の三)六月三日の当日、ショーの進行に関し一定の役割を果たしており、原告側の前島光義(前掲甲第七号証による。)及び三栄組側(前掲甲第一号証の一二による。)でも、被告子安の加藤が当日の進行責任者であると見ていたことが認められる。
これらの事実に照らせば、被告子安側が本件ショーの進行を一切被告千秋側に任せたつもりであり、被告千秋及び原告の出演内容に関与せず、五月二八日の打合せを事前に知らされておらず、進行表を入手していなかつたとしても、被告子安の前記義務を否定するには足らず、他に被告子安の右主張を認めるに足る証拠はない。
(四) また、被告子安は、本件のような形態のショーの進行については、プロモーターが舞台進行に関与しない興業界の慣行があると主張するが、前認定(第三の三の1)の興行界に見られる概括的な実態のみでは、被告子安の右主張を認めるには足りず、本件のようなショーの形態をとつた場合、自動的に、興行主がショー進行に関する一切の責任を負わないとするような業界の慣行があることを認めさせるに足る証拠はないから、右の被告子安の主張も失当である。
3 そこで、被告子安側に、具体的にいかなる注意義務があつたかを検討する。
(一) まず、原告は、被告子安の加藤又は木村が、原告出演中にセリが使われることを知つていたと主張し、被告千秋の供述中には、五月二八日に加藤に電話した際、「出世街道」の前に原告の出番を入れることとし、その後の被告千秋の出番のためにセリを使いたいと伝えた旨、また証人谷健次の証言中には、原告出演直後、舞台下手袖付近で出会つた加藤から東京ぼん太が出演することを聞かされ、谷がセリが下がつているから危いと述べたところ、加藤は「知つているからいいよ」との応答をした旨、いずれも原告の右主張に副う部分が存在する。しかし、これらはいずれも明確でない上、<証拠>に照らしにわかに採用できず、他に加藤が原告出演中のセリ使用を知つていたことを認めるべき証拠はない。
また、木村の認識に関しては、前記第二の二の4で検討したとおり、<証拠>中には、池田にセリ使用について確認した結果を谷に報告した直後ころ石川が木村に会い、原告出演直後からセリが下がるので原告らに注意するよう木村に頼んだ旨の部分はあるが、セリ下げの時機まで明確に伝えた趣旨においては信用し難いこと前認定のとおりであるし、前認定のとおり、石川の依頼に基づき、木村が舞台出演直前に原告に対し、原告出演中のセリ下げについて注意したことからすれば、木村は、少なくとも右の石川から依頼を受けた時点で(ちなみに、前掲甲第一二号証の二によれば、木村は、当日の進行表はもらつていなかつたが、会館の石川が下手袖の持場付近に貼つてあつた進行表(乙第五号証と同内容のものと推認される。)を当日見に行つていたことが認められる。)、原告出演中のセリ使用を知つたことが認められるが、木村はたまたま会館の石川から連絡を依頼されたに過ぎない上、被告千秋側及び原告側との出演契約に直接関与したものではないこと、木村が知つた右の時期及び内容、前認定の木村の役割が加藤の補助者の役割に過ぎなかつたこと等に照らせば、被告子安の従業員である木村の右の時点での原告出演中のセリ使用に関する認識を基礎として、被告子安の具体的注意義務をひき出すことは困難である。
(二) <証拠>によれば、加藤は、五月二八日に被告千秋から同人の出演のため会館のセリを使用することにつき了解を求められこれを承諾したが、その際、セリの使用が一般的に危険を伴うものであることを十分認識しており、そのためにも六月三日の被告千秋のリハーサルが行われると認識していたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
右の事実と、前認定のように、加藤が原告及び椎野を組み込む形で「畠山みどりショー」を企画構成し、各個別の出演契約の締結を担当し、被告千秋及び被告グリーンアート側並びに被告市(会館)側との連絡を行い、かつ、本件ショーの進行に関する全責任を被告グリーンアート又は被告千秋側ないし被告市側に明示的に任せたわけでもないことを総合すれば、加藤としては、右五月二八日に被告千秋がセリを使うことを知りこれを承諾した時点で、更に進んで被告千秋に対し、いつ、いかなる状況でセリが使用されるのかを確認し、原告又は椎野の出演にかかわる時機にセリが使われるとすれば、関係者間で十分打合せがなされ、その結果の認識にそごが生じないよう、被告子安側において直接、原告又は椎野側、被告千秋側及びセリを操作する会館側と別個に連絡をとつてセリの使用方法を確定し関係者に周知徹底するか、そのような関係者の打合せの場を設けて調整させるか、あるいは被告千秋に原告及び会館側との打合せを行わせてその結果を確認するなどして、セリ使用に伴う危険の発生を防止すべき義務があつたといわなければならない。特に、前認定のように、加藤は、原告及び椎野をいわば「つなぎ」として組入れたのであり、セリの使用は出演者の交替時に行われることも多いのであるから、原告らとのかかわりのある時機にセリが使われるかも知れないことに思いを巡らせることは困難ではなく、その上で、事前に、又は本件ショーの当日開演までの間に、一挙手一投足の労というべき右のいずれかの安全確保の措置を講ずることは容易であつたと認めるべきである。
(三) しかるに、加藤は右のような確認、連絡等の必要に思い至らず、右五月二八日以降とつた措置としては、五月二八日に被告千秋に対し、原告及び椎野の出演のため同被告の都合のよいところで時間を空けるよう依頼し、セリ使用について承諾を与え、六月三日のショー当日被告千秋が会館スタッフ及び楽団との間で行つたリハーサルの開始に当たりプロモーターとして各関係者を引合わせ(なお、右リハーサルが行われた段階では原告が本件会館に到着していなかつたことは前認定事実から明らかであるが、右リハーサルにおいてセリ使用の練習が行われたかどうかについて関係証拠は一致していない。すなわち、甲第一号証の三二(篠田供述記載)、同第一号証の三五(被告千秋供述記載)、同第一四号証の五(池田供述記載)は、いずれもセリ上下の練習はしなかつたとし、同第一号証の三三(篠田供述記載)は一回だけ上下させたとするのに対し、証人石川実(第一回)、及び同谷健次の各証言では四回のセリ使用のうち二回分のリハーサルを行つたとする。)、原告との関係では、原告が従前の被告子安との契約による出演の折にも短時間の出演の場合は被告子安側と特段の打合せの必要はなく楽団や司会者との打合せに五分程度あればよいと述べ、また原告自身短時間の出演の場合はリハーサルの必要はないと考えていたことから、加藤は、昭和四八年五月末ころ原告側に乗込み時間の打合せをした際も、午後一時開演予定であるから零時半ころ刈谷駅到着でよいと判断してその様に到着時間を連絡し、(なお、この段階では、五月二八日の被告千秋との連絡により原告が「畠山みどりショー」の総合司会を担当する予定が取消されており、総合司会のための打合せ時間を確保する必要はなくなつていた。)、更に、六月三日当日原告を刈谷駅に出迎えた際、会館到着後直ちに打合せをするように伝え(もつとも、加藤としては楽団ないし司会者との打合せを念頭に置いていたのであり、セリ使用に伴う打合せの必要を考えていたものではないことは、<証拠>により明らかである。)、会館の控室で原告に対し花束贈呈の件と東京ぼん太出演の件を伝えたほか、なお被告子安の木村が、原告に出番の連絡をした際、会館の石川の依頼によつてセリについて注意をしたのみで、それ以上には前記のように被告子安側に求められる確認、連絡調整等による安全確保の措置をとらなかつたことが、前認定の事実から明らかである。
(四) してみれば、本件事故は、被告子安又はその従業員で被告子安の原告の出演に関する出演契約の履行補助者の立場にあつた加藤の右の不作為が一因となつて発生したというべきであるから、被告子安は右出演契約に附随する原告に対する安全配慮義務の不履行により、本件事故による原告の損害を賠償すべきである。
(五) 被告子安は、五月二八日に被告千秋からセリ使用の了解を求められた際、加藤が被告千秋に対しセリ使用の危険を指摘してセリを使わないように勧めたが、被告千秋がセリ使用の安全を確保し、万一の事故については被告千秋側で責任をとると約束した旨、また同日会館の石川に電話をしてセリ使用につき被告千秋側と打合せをして安全を確保するよう申し入れ、石川がそれを了承した旨主張し、証人加藤勝司郎の証言中には、右主張に副う部分があるが、右は、甲第六号証の五及び同第八号証の三の加藤の刑事事件における供述記載にも表われていないこと、及び証人石川実の証言(第一回)と被告千秋本人の供述に照らし、にわかに採用できず、他に被告子安の右主張を認めるに足る証拠はない。
(六) また、被告子安は、加藤が刈谷駅に原告を出迎えた際、「畠山みどりショー」の中で一五分の漫談コーナーを設けたことを告げ原告はこれを承諾し、また会館到着後直ちに打合せをするよう注意を促したから、これにより原告に対する安全配慮義務は被告子安からこれを引受けていた被告グリーンアート及び被告千秋側で引受けられることになつた旨主張する。しかし、被告子安が原告及び椎野の出演部分を含む「畠山みどりショー」の進行の一切を被告グリーンアート及び被告千秋にゆだねたとか同被告らがこれを引受けたとはいえない上、刈谷駅での加藤の原告に対する注意は楽団及び司会者との打合せを念頭に置いたに過ぎないものであつたこと前認定のとおりであるから、右の被告の主張も理由がない。
(七) 更に被告子安は、原告に対する刈谷駅での加藤の右注意と、原告の出演前に被告子安の木村がセリ下げについて注意したことにより被告子安の安全配慮義務は尽くされたのであり、これによりむしろ経験豊富なタレントである原告が被告千秋、同グリーンアート、同市と打合せをすべきであつた旨主張する。しかし、加藤の注意の内容及び木村の注意の内容は、前認定のとおり、セリ使用又はセリ下げの微妙な時機を念頭に置いたものではないから、これによつて被告子安の前記注意義務が尽くされたといえないことが明らかである。
八 被告らの行為の関連性
以上に認定判断したとおり、被告ら四名は、本件「畠山みどりショー」について、出演契約又は会館使用許可及び本件セリ操作の担当というそれぞれの関係と立場において関与し、具体的危険にさらされることになつた原告に対し、出演契約上又は条理上、それぞれ危険防止のための措置をとるべきであつたのにこれを怠り、本件事故に至らしめたものであつて、被告らの行為(不作為)は相互に競合し関連し合つて本件事故を発生させたものであるから、被告らは各自、(不真正連帯の関係において)原告に対し、本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある(なお、前認定の被告らの本件ショーにおける立場と関与の程度、被告らの行為の態様等を総合勘案すれば、原告に対する被告らの責任の程度としては、池田の行為による被告グリーンアートの責任及び池田の行為にかかわつた被告千秋の責任が一体として比較的大きいほかは、その余の被告ら間では大きな差異はないものと認められる。)。
第四 損害について(請求原因4)
一 積極的損害
<証拠>によれば、原告が本件事故により、請求原因4(一)において積極的損害として主張している各費用の支出を余儀なくされ、その金額の合計額は金四九一万四〇一四円であることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
二 逸失利益
1 <証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告がタレントとして得る収入は、すべて訴外有限会社オフィスEYの収入(売上)として計上されると同時に、オフィスEYの売上高はすべて、原告のタレント活動によるものである。
そして、オフィスEYは、原告の税金対策上有限会社組織化されていたが、ほぼ原告の個人事業と同視できるものであつて、原告は、会社の得た収入についてその使途、金額を自由に決定できる立場にあつた。
(二) オフィスEYは、四月三〇日を決算日として、毎会計年度、決算を行つていたが、本件事故発生当時は、原告が芸能界入りして約一〇年経過し、次第に脚光を浴びていたころであり、オフィスEYの売上高も、昭和四五年度は約金一三四八万円であつたのが、翌年度は約一六六八万円、そして昭和四七年度は、約二三三三万円と著しい伸びをみせていた。
(三) オフィスEYに揚げられた収入からは、原告に対して役員報酬と賞与を支払うほか、マネージャーの前島光義、運転手、付人、経理担当者らに対し、それぞれ給料等の人件費が支出されているほか、交通費、衣装代、交際費等の費用を支出し、営業外損益を加減して会社としての経常利益を算出しているが、経常利益は、昭和四五年度ないし四七年度は確定申告書添付の損益計算書上いずれも赤字を計上している。
(四) 昭和四七年度には、オフィスEYは、二三三三万五一二九円の売上高を記録しているが、そのうち、原告に対し役員報酬として金四三二万円、賞与として金六三万九九〇〇円が支払われている。これに対して、翌昭和四八年度は、オフィスEYは六六一万四五九二円の売上げをあげているが、これは、昭和四八年五月一日から、本件事故発生日である六月三日までの原告の出演料収入と、翌四九年一月八日から四月三〇日まで、事故後に日本テレビに復帰して得た出演料収入の合計である。
そして、その年の原告に対する支払いは、計算書類上は、役員報酬四三二万円と賞与九万円があるが、役員報酬の四三二万円は未払いのままとされ、何年か後に、原告が債権を放棄する形で処理された。
2 これらの事実を総合すると、オフィスEYが原告の個人事業の実質をもち、その収入を原告が自由に報酬や経費として割り当てることができるとはいえ、オフィスEYは会社として従業員を使用し、それらの者に支払う給料や事務所経費等も必要であるし、又、交際費や衣装代等を原告が自由に使用しうるとしても、これらは原告がタレントとして収入を得るために必要な経費であるから税務上も会社の費用として計上することが認められているのであることに鑑みれば、オフィスEYに入る全収入をもつて直ちに原告個人の収入と同視しうるとは認められない。
更に、事故の前後の収入(オフィスEYの売上高)の差額を逸失利益とみるには、事故の前後でその経費が同一であることが前提となるが、事故の前後で仕事量等に大きな変化があつたとするとそれに要する必要経費にも差異を生ずる余地があり、右差額をもつて、原告が本件事故により逸失した利益額であるとは、直ちには認められない。
3 そこで、更に原告の本件事故前における収入について検討すると、前記認定のように昭和四七年五月から翌四八年四月までの、オフィスEYから原告個人への給与等の支払額は合計金四九五万九九〇〇円であり、その反面、オフィスEYが原告の個人企業の実質をもつとはいえ、当該年度の経常損金である金一八六万九七一二円を右原告の収入額から控除すべきことを認めるに足る証拠もないので、原告の本件事故直前の収入は、前記のように一年間に金四九五万九九〇〇円を下らないものと認めるのが相当である。
4 ところで、原告の逸失利益算定に当たり基礎とすべき額について右の金四九五万九九〇〇円を用いることの相当性を検討すると、なるほど原告は芸能人であつて、芸能人は浮沈が激しく、それによる収入額の幅がきわめて大きいことは公知の事実である。
しかしながら、前記認定のように、原告の出演料収入は年々増加していたのであり、本件事故がなければ、なおしばらく右増加傾向が継続することはあれ、原告の人気に陰りがみえ、前年度並の収入を継続できなかつた蓋然性が高いような事情を窺うに足る証拠はない。
また、原告は本件事故当時三六歳であつたことは当事者間に争いがないところ、昭和四八年当時の賃金センサス第一巻第二表の産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者三五ないし三九歳の平均年収額が金一八七万九七〇〇円であり、その後右額は著しい伸びを示し、昭和五八年の右同様(第一巻第一表)の年収額は金四四〇万五八〇〇円であることに照らせば、前記認定額はさほど高額であるともいえず、相当なものと評価できる。
5 原告の労働能力喪失の程度
(一) 原告が、本件事故により第一一、一二胸椎間脱臼、第一二胸椎骨折、脊髄損傷を負つた結果、後遺症として両下肢機能が全廃し、車椅子での生活を余儀なくされていること、身体障害者等級表による等級としては一級と認定されていることは当事者間に争いがなく、右後遺症の程度は、労働省労働基準局長の通牒昭和三二年七月二日基発第五五一号労働能力喪失率表において、第一級として労働能力喪失率が一〇〇分の一〇〇とされていることは公知の事実である。
(二) ところで、右の基準は、一般的抽象的なものであり、具体的喪失率を算定するに当たつては、右の基準を勘案しながら、本件事故の前後における収入、職業の種類、事故の態様、後遺症の部位、程度等を総合して評価、算定するのが相当であるところ、前記争いのない事実及び<証拠>によれば、次の事情が認められる。
(1) 原告は、当時司会やものまね、漫談等を出し物とする芸能人であつたこと。
(2) 原告は、本件事故後である昭和四九年一月八日から日本テレビの「お昼のワイドショー」に司会役として復帰し、昭和五二年四月まで勤めたこと。
(3) 事故前の昭和四七年五月から同四八年四月までに原告が芸能人として稼働した結果得た出演料等は、金二三三三万五一二九円であること。
(4) 本件事故前にあつた、日本テレビを除く他の番組や、個別の出演の仕事等は事故後になくなり、日本テレビの「お昼のワイドショー」の仕事一本となり、それも出演頻度、出演料は徐々に減つたこと。
(5) 本件事故後の昭和四九年一月八日から同年一二月九日までの日本テレビの出演料は、金七九八万七〇〇〇円であること、この金額はほぼ一一か月の稼働の対価であるから、これを年額に計算すると金八七一万三〇九〇円となり、事故前のそれと対比すると約三七・三四パーセントであること。
(6) 原告の労働に対する対価は、オフィスEYの売上高として計上されるのであるが、右金員がどこに支出され、原告にどれだけの収益をもたらすかとはかかわりなく、これが原告の労働能力を示すものと考えられるので、原告の出演料収入の減少率が、原告の労働能力喪失率を示す一つの指標と評価しうること。
(7) なお、原告は昭和五六年六月、国際障害者年特別公演として同志、友人の協力により舞台劇に出演したこと。
(三) 前掲各事情に、前記後遺症の程度及び後記のとおり原告が昭和五二年七月以降参議院議員の地位にあることを加えて考慮すると、原告が、本件事故後に得た収入は、原告に残余する労働能力がそのまま反映したものというよりは、残余の能力にこれを十二分に発揮しようとする本人の努力が多分に貢献していると評価するのが相当である。
この割合を一率((ママ))に算定することは困難ではあるが、前掲各事情を総合すれば、本人の努力の結果を除いても、なお原告には一五パーセントの稼働能力が残されており、原告は、本件事故により労働能力を八五パーセント喪失したと認めるのが相当である。
(四) 以上により、原告の逸失利益は次のように算定される。
(1) 原告の得べかりし利益は、年額四九五万九九〇〇円を基準とする。
(2) これに、前記認定の原告の労働能力喪失率である一〇〇分の八五を掛ける。
(3) さらに事故当時三六歳の原告の就労可能年令である六七歳までの三一年について、ライプニッツ係数を用いて中間利息を控除する。被告らは原告は芸能人であり、浮沈の激しい職種であり、高額の収入を六七歳まで継続しうるとするのは、不当であると主張するが、(1)で採用した算定の基礎とする額がそれほど高額ではないこと、本件事故にあわなければ、どれだけの収入を得ていたかを正確に把握することは困難であつて、芸能人は浮沈が激しいことは一般に公知の事実ではあるが、それだけは、原告が事故前以上の高収入を得る可能性と事故前の収入を維持できない可能性との双方を推測せしめるのみで、原告について、それ以降の収入が減少するような蓋然性を窺うに足る事情は認められないので、一般平均人の就労可能年数を用いるのが相当である。
(4) 以上によれば、次の算式により原告の逸失利益額は金六五七三万八七六二円となる。
三 休業損害
原告が、昭和四八年六月三日から同年一二月末まで、本件事故により治療のために仕事を休まざるをえなかつたことは、当事者間に争いのない事実であり、右期間の休業損害算定の基礎とすべき収入は、前記認定と同様に直前の原告の収入の金四九五万九九〇〇円をもつて当てるべきである。
よつて、右七か月間の休業損害は次のように算定される。
四 損益相殺について
原告が昭和五二年七月から参議院議員として、それに応じた歳費等を得ていることは、当事者間に争いがない。
しかし、参議院議員の地位を得たのは、本件事故発生から、約四年間経過後であり、芸能人としての仕事と異質のものである上、本件事故によつて得た地位とはいえないこと、右地位は、何人でも容易に就きうるものではなく本人が残存した労働能力をもとに尋常ならざる努力をなした成果であるとみられることに鑑みれば、原告が参議院議員の地位に就き相応の歳費等を得ていることは、本件事故による原告の労働能力喪失率及び損害額について先に認定した以上に影響を及ぼすものではない。
五 過失相殺
1 前記認定のように、原告は、本件事故発生前に、本件セリが原告出演中に下げられることを池田、吉田から連絡されており、セリ下げの時期を花束贈呈後とする旨を打合せ、出演直前には、マネージャーの前島、被告子安の木村及び被告市の職員である樅山と加藤正好から、セリ下げについて注意喚起を受けた。
そして、前記認定事実と、<証拠>によれば、原告は六月三日のショー当日、刈谷駅から本件会館に向うまでの間に、加藤又は被告子安から当日のショーが「畠山みどりショー」であることを聞かされた上、会館の控室において池田から初めてセリ使用のことを聞かされたのであるが、当時、原告としては、「畠山みどりショー」の進行表を原告側に持参したのが池田であること、同人は被告千秋のマネージャーであること、右ショーの進行について原告と打合せのできる立場にある者であることを認識して同人と打合せをしたのであり、司会者吉田との打合せと相まつて、これにより関係者への連絡が行きわたるものと考えて、その後自ら又はマネージャーの前島を通じてセリ操作をする関係者等に確認せず、後に木村、樅山、加藤正好から注意を受けた際も、セリ下げの時機が池田及び吉田との打合せ通りであるか否かについて確認をせず、耳に入れるか聞き流す程度で舞台に登場したものと認められ、この認定に反する証拠はない。
してみれば、本件セリ使用は、原告自らの出演のためのものではなく被告千秋の出演のためのものであり、原告としては被告千秋のマネージャーから、原告出演中にセリを使わせていただきたい、ついてはその時機をどうしましょうかという趣旨において依頼と打診を受けた立場にある上、出演を間近かに控えた時期に右のような状況で池田及び吉田との打合せが行われたのであるから、原告が、セリ操作者(原告としては一般にセリ操作を行うのは会館側であろうとの認識は持つていたことが本人の供述から認められる。)やプロモーターである被告子安側への伝達が確実になされるかどうかにまで思い及ばなかつたとしても、あながち強くこれを責めることはできない(なお、本件全立証によつても、池田が、五月二八日の打合せによる原告出演直後のセリ下げとか、センターマイクに立つ時点などの具体的時機をまず原告に伝え、その上で原告の希望により意見調整をして結論が出たような形跡が見られない。この点も、五月二八日の打合せの結果にかかわらず、被告千秋側にはセリ下げの時機についてはそれほど関心がなく、セリ下げのきつかけをつかみたい会館側にその関心があつたことを示すものと考えられる。池田が、原告に対し、出演後すぐセリを下げたいがいかがかといつた形で伝達、意見調整をしておれば、その後の関係者への連絡が確保される可能性が残つたであろう。)。
しかしながら、原告は当時舞台経験の豊富な芸能人であり、セリ使用の危険を十分知つていたと認められるところ、出演中にセリが下げられることを承諾し、セリ下げの時機について注文をした以上、身の安全を守るため、池田及び吉田との打合せの結果の連絡、伝達経路ないしその関係者への周知徹底について、いささかの配慮をすることは期待されて然るべきである。池田との打合せの際、同人の立場又は「畠山みどりショー」の指揮命令系統、セリ操作者への伝達方法について確認をし、吉田との打合せの際にも同様の確認をし、あるいは出演準備を一応整えてから舞台登場まである程度の時間的余裕もあつた(原告本人の供述による。)のであるから、この間に自ら又はマネージャーの前島により、被告千秋側に再確認するなり、プロモーターたる被告子安側又は会館側に確認するなりすることは、その気持があればできたはずである。また、後に出演直前の木村、樅山、加藤正好らの注意に真摯に対応し、一言(例えば、「花束贈呈のあとね。」)の確かめをしておれば、会館側との認識のそごが判明し、本件事故を回避できる可能性があつたといえる。
従つて、前記のような当初の池田との打合せの経緯、及び出演直前の心理的あわただしさを考慮に入れても、なお、原告にも本件事故回避について不注意があつたといわざるを得ない。
2 なお、被告らは、舞台上で、原告は、本件セリを注意して視るべきであり、視ようと思えば容易にできたのにこれを怠つた過失があると主張するが、原告本人の供述及び検証の結果によれば、舞台上で、スポットライトを浴びている場合及び、これに舞台と客席の照明が加わつた場合のいずれも、センターマイクの前に立つ場合、特別の注意を払わない限り、本件セリが下つていることは目に入らないと認められる(前記第二の二の5参照)。
なお、原告が出演前に舞台脇からショーの進行状況を見た際、セリの位置については念頭に入れていたことが原告本人の供述から認められ、また前認定のように、原告が楽団指揮者に対し伴奏開始の合図を送るについて、一瞬斜め左向きの姿勢をとつたかの証拠(甲第一号証の一七)もあるが、観客を前にし観客に神経を集中させて演技する芸能人たる原告に、打合せと異なる時点にまでセリに注意を向けることを求めることは無理であるというべきであるから、この点において過失ありと認めることはできない。
3 よつて、右に認定した原告及び各被告のそれぞれの過失の内容、程度、本件事故の態様その他諸般の事情を総合考慮すると、過失相殺として、原告の損害額の二割を控除するのが相当である。
六 慰藉料
前記認定の本件事故の態様、原告及び被告ら双方の過失の程度、原告の負傷の部位、程度、治療経過、特に、原告は本件事故により両下肢機能を全廃し、生涯車椅子で生活しなければならなくなつたという後遺症の内容、程度その他諸般の事情を総合すると、原告の本件事故による精神的苦痛を慰藉するには、慰藉料として金一五〇〇万円を認めるのが相当である。
七以上により原告の損害は次のとおり認められる。
1 積極損害 四九一万四〇一四円
2 逸失利益 六五七三万八七六二円
3 休業損害 二八九万三二七五円
右1ないし3の合計額から前記認定のとおり原告の過失割合二割を控除すると、損害額は金五八八三万六八四一円となる。
これに、前記認定の慰藉料一五〇〇万円を加算すれば、金七三八三万六八四一円となる。
第五 結論
以上により、原告の請求は、被告らに対し各自金七三八三万六八四一円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和四八年六月三日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条九二条本文、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官荒井史男裁判官田中澄夫は転官のため、裁判官後藤眞理子は転補のため、いずれも署名押印することができない。裁判官荒井史男)